赤の記憶

 

 

 

私は赤が好きだった。

吊りスカートは絶対に赤が良かったし、防空頭巾も母に死ぬほど頼みこんで古着の赤い襦袢で作ってもらった。まだドロップスが手に入った頃には、二歳下の妹からドロップスの缶を奪い取り、赤いイチゴのドロップだけをほじくり出して全部食べ、激怒した妹と血みどろの喧嘩になった。赤の色鉛筆は使わずに大事に取っておいていたし、消防自動車の色が赤色から茶色に変わったのが大いに不満だった。

いろんな赤の中でも、いちばん好きな赤がある。

木苺である。キイチゴの赤。

我が家の裏手がすぐにお寺の本堂で、その奥に住職の住む庫裏と古びた経蔵が並び建っている。その境内に木苺の低木が生い茂っているのだった。五月になると青々と茂った葉緑のキャンバスが、点々と鮮やかに輝く赤色でいっぱいになる。その赤色は、国策水彩絵具のチューブから出したみずみずしい赤色よりも、さらに鮮烈に赤いのだ。私はそのキイチゴの赤を目で見て楽しみ、ついでに十個か十五個ばかり失敬してその味覚も愉しむのだった。

お寺そのものは、大した大きさではない。しわくちゃでやせこけた住職と、その住職の生気を吸い尽くしたかのようにまるまる太った黒猫が住んでいるだけ。それでもなお手狭そうなほどにこじんまりしていて、周りには二階建ての民家がひしめいている。

そしてその家々の住人達の行いによって、お寺は四方八方から自由自在に蹂躙されていた。右隣の理容院の奥さんが、寺の石塀の上に所狭しと勝手に並べた得体の知れない鉢植え。左隣の餅屋の物干し台から風に吹かれて墜落した布団が、本堂の屋根を直撃する(当の餅屋のおじさんは「広島初空襲じゃ」と嘯いていた)。家庭菜園のかぼちゃのツタが伸びに伸び、庫裏の裏口の脇の蛇口に無造作にからまりついている。これは我が家自慢のかぼちゃの仕業であった。

「そのうちな、町内丸ごと地獄に堕ちるぞ」

そう言って父は笑う。かと言って、特にツタを除去したりはしないのである。

キイチゴ泥棒である私もまたお寺を蹂躙していた。私だって、なにも好き好んでその哀れなお寺を冒涜していたわけではない。

キイチゴである。キイチゴの赤が綺麗すぎるのが全部悪いのである。

家の裏手が本堂である、と私は言った。もっと正確に言えば、幅二間ほどの庭があり(かぼちゃはこの小さな庭に植わっている)、伸び放題のかぼちゃのツタと葉を乗り越えると板塀があった。その板塀の中に、一枚だけ取り外しできる板があった。その一枚を塀から外して、本堂の裏側に侵入する。するともうそこにはキイチゴが好き放題に実を結んでいる。住職が住む庫裏の窓から死角となるように這いつくばって、好きなだけキイチゴを見て、キイチゴをむさぼる。

六歳のときに外れる板塀があることに気づいて以来、五月になるたび私はそんなふうにしてキイチゴ狩りに出かけていた。

 

 

 

そのお寺で私は、キイチゴとはまったく違う「赤」と出会った。八歳の初夏だった。初夏と言ってもまだ五月の初めで、キイチゴが実をつけるには少し早いかもしれない時期だった。

しかし、私は飢えていた。妹も飢え、父も母も飢えて、街中どこもかしこも飢餓状態に陥っていた。リュックを背負った父は超満員の列車に乗って田舎の親類から米や野菜をもらいに行き、母は味噌だの石鹸だのを求めて配給所と闇市をはしごしていた。そうしてようやくこしらえた薄い味噌味の、箸も立たない大根雑炊を囲みながらの食卓の話題は、お寺の黒猫の肉は食用にできるかどうか。冗談のはずなのに、話している父母の表情が時々真剣みを帯びるのを私は見逃さなかった。市内全部、いや国内全部がこんな調子なのだから、ドロップもキャラメルも手に入るはずがない。

そこでキイチゴである。甘いものが手に入らないなら、自分で手に入れればいいのだ。

 

例年より少し早くキイチゴ狩りに侵入した私は、キイチゴの実がまったく熟していないことを知り、愕然として地面に突っ伏す…までもなく這いつくばっていた。これではまったくの無駄足、無駄這いつくばりだ。歴戦のキイチゴ泥棒としてのプライド(?)が傷つけられる。手ぶらでは帰りたくないと思った。

ふと見ると、いつもは閉まっている経蔵の鍵付きの扉が開いているのに気づいた。寺のあちこちに勝手に入り込んだ私でも、その蔵だけはまだ未踏の領域だった。しわくちゃ住職の気配もない。私は黒猫がこの蔵に入り込むところを何度か見かけたことがあった。この機は逃せない。事がうまく運べば、今夜は肉が食べられるかもしれない。私は早速侵入を決意した。

 

薄暗くカビ臭い経蔵の奥で見つけたその「赤」は、一帖の地獄絵の屏風だった。

生きたまま串刺しで火にあぶられたり、臼に詰められて棍棒ですり潰されたり、赤く鋭い猛火の中を獄卒に追われる土気色の人間たち。煮えたぎるような血の赤の凄まじいリズムが屏風の上に荒れ狂っていた。

私はただ立ち尽くして、その地獄を見ていた。ひたすら、見ていた。

音ひとつない蔵の中に、小さな天窓から五月の黄色い陽光が細く差し込んでいた。その光が屏風の中の黒煙に散らされた金粉を星屑みたいに浮かび上がらせている。

この金粉は火の粉なんだ。地獄に堕ちた人を灼く、美しい炎の結晶。

目から耳から鼻から口から、紅蓮の赤がとめどなく流れ込んでくる。私は恐怖を忘れて、ただその屏風を見続けていた。

 

ふしぎな赤の洪水の中、ふと、父の言葉がどこかをかすめた。

「そのうちな、町内丸ごと地獄に堕ちるぞ」

 

 

ピカが来たのは、ちょうどその三ヶ月後の真夏の朝だった。(了)