絵に描いた女について

生まれて飛び出てキモ・オタクだったので、まだクソクソのクソガキだった頃から私は絵に描いた女のことを考えていた。

 

保育園の頃、眠れないお昼寝の時間に妄想していたのは美少女戦士セーラームーンのことだった。当時はアニメのセーラームーン本編は見たことがなく(男が見てもいいものではないという意地があった)、保育園で見たセーラームーンのアニメ絵本が「絵に描いた美少女」とのファーストコンタクトだった。

小学校に入ると劇的な変化が発生した。

鍵っ子だった私は、誰もいない家でアニマックスやキッズステーションで人目を気にせずアニメを見ることができるようになったのだ。

その自由も学校から帰った後の四時から親が帰ってくる六時半ごろまでに限られていた。

そしてちょうどその時間にやっていたアラレちゃんやらんま1/2うる星やつらやぴちぴちぴっち、おもいっきり科学アドベンチャー そーなんだ!といったアニメに出てくる女をひたすら観ていた。

本当は土曜朝やニチアサのハヤテのごとく!プリキュア東京ミュウミュウを観たかったのだが、それは自分が見てはいけないもの、禁じられた何かであるように感じられ、何より直接的にはそういうアニメを見ている自分を親に(放送が土日なので家に親がいる)見られたくないという""があり、遂に視聴することはなかった。

家に親がいる平日午後七時以降にやっているきんぎょ注意報!きまぐれオレンジロードが観たくてしょうがなかったのを覚えている。我が家にはリビングに一台きりのテレビしかなく、親の面前でそれらのアニメを見るのも『恥ずかしいこと』だと思っていた(別に「アニメを見てるとバカになる!」と言うタイプの親ではないのだが…)

 

 

クソガキだったその頃の私が感じた『恥ずかしさ』はいったいどこから来たのか。

それは単なる親に対するクソガキなりの羞恥、もしくは恐怖心の表れだったのか。

それもあったかもしれない。

 

しかし、それよりももっと救いがたい理由があるように思えてならなかった。

それはおそらく、他人と向き合うことへの恐怖だった。

友達を作るのが苦手で手先が不器用で運動ができず小学校に入って相当経つまで靴ひもすら自分で結べないような子どもだった私にとって、現実の学校も生活も煩わしいものだった。

 

現実が煩わしいならどうすればいいか?

現実を"省略"すればいい。

省略、と言って分かりづらければ切り捨て、と言ってもいい。

そしてその"現実の省略"なるものを、私はアニメの中に見出していた。

世の中の煩わしさやめんどくささを捨象し抽象化し省略した表現のしかた。

そのような表現によって作り出される作品のなかでは、描かれる被写体の余分な要素が『省略』され、余計な何者にも邪魔されることなく、あらゆる事物の「本質」を感じられる。

そして、そういう表現がもっとも生き生きと表れるモチーフの一つとして、『美少女』というものがあったのだ。

輪郭の歪みや肌のキメだのといった瑣末で余分な情報を捨て去って、シンプルに完成された曲線や美しい肌を描き出す。それによって描かれる対象の情報量は減ってしまい、描かれる対象が本来持っているであろう"個性"が失われてしまう側面もある。

しかし優れた(美少女)イラストは、線のタッチのメリハリやケレン味、配色の巧妙、劇的な構図の選択といった多彩な手段で雑多な情報を切り捨て省略し、その果てに現実を越えた""を実現するのだ。

 

美少女イラストなど、画面上に現れている全ての要素がウソ八百の虚構でしかない。

それでもその抽象化され省略された表現は、クソ以下の現実のもろもろを踏みつけにして、日常を超えた美へと人を誘うことができる。

 

というわけで、私は絵に描いた女が好きだ。

むしろそれ以外は全部好きではない。

ホ のテーマ

十億年ぶりに休日の街へ出かけて本屋に行ったら、原民喜の新書が出ていたので買って読んだ。

私はこれまで原爆を描いた小説家・詩人としての原民喜しか知らなかったが、その新書を通じて原が終生抱えていた孤独や死への深い親しみの念や、死んだ妻への思慕を垣間見た。ごく当たり前の事実だが、『原爆作家』であることが原民喜のすべてであるわけがない。作家としての、詩人としての、そして人間としての原民喜の足跡が著者による丹念な研究と取材によって描き出されていて、大変良い入門書だと思った。

 

しかし…私はやはり原爆を描いた『芸術家』としての原民喜、そしてその『芸術』にどうしようもなく引き寄せられる。

以下に引くのは原の代表作である『夏の花』にも引用された散文詩「ギラギラノ破片ヤ」である。

 

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル電線ノニホヒ

 

このような詩が、書かれてよいのだろうか。

この凄惨な光景をカタカナで抉り出した一編の詩に、あろうことか私は例えようのない美しさを感じる。

奇妙なリズムの焼けただれた屍体たちは、『その朝』まで当たり前に工場へ会社へ学校へ、それぞれがそれぞれに街路を行き交っていたし、ギラギラの破片や灰白色の燃え殻は、『その時』まで立ち並ぶ家々の建て具であったり窓であったりして、人々の当たり前の日常を形作っていた。

その全てが剥ぎ取られた後に広がった世界には、凄まじいほどの静寂が流れている。ニンゲンの死体も破片も燃え殻も電車も馬も、すべてが静止したオブジェに還った。

そこにはもう、一人一人の人間たちの、それぞれに複雑に曲がりくねった『生』というものは全くない。ひとまとめに一緒くたになり、顔の区別もつかない赤剥けの、黒焦げの、ねじ曲げられ、火炎の熱とガスで膨張した死体が転がっている。

後に残されているのは優美でも華麗でもなく、剥き出しにされた死と静寂だけだ。

『パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ』は、個々の人間の生命よりも前にある、ヒトという存在を超越した世界を我々の前にさらけ出したのだ。

 

そこにあるものは、『美』というものに他ならないではないのか?

私の頭の中で、そんな禍々しい疑いが頭をもたげるのだった。

このあたりの感覚は自分で下手に説明するより、以下に引く坂口安吾の一節を読んでもらったほうがいいかもしれない。

坂口安吾は『赤頭巾』(最後に猟師が出てきて狼に食べられた赤ずきんとおばあさんを助け出し、狼を池に沈めて退治してしまう『現代版』赤ずきんではなく、赤ずきんが狼に食べられ、そこで終わってしまう『原作』の赤頭巾である)を例にあげて以下のように書いている。

 

「愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。
 私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。
 その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁みる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、決して、不潔とか、不透明というものではありません。何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。」 (坂口安吾文学のふるさと』)

 

人間としての良心や正義や理性、そういったものよりも前に人間を圧倒する『美』は存在している。

もしも良心や正義や理性の中に美しさというものがあるのなら、それは良心や正義や理性そのものが美しいのではなく、『美』によって我々にとってのあらゆる『正しさ』が規定されているのだ。

それがいかに傲岸不遜な思考であろうと、私にはそのようにしか考えられない。

 

そんなふうに地に足つかないことを考えながら、私は短パンのポケットに入れたのを忘れてそのまま洗濯してしまった元はレシートだった白い粉をポケットから搔き出し搔き出し、ゴミ箱に捨てていた(GUで買ったポケットが裏返しにできない粗悪な短パンなので、粉々になって掴み取りづらいレシートを手で掻き出すしかなかった)。

寿詩


特にめでたくもなく特段めでたくなくもない日曜午後3時に回転寿司に行く
人類史上初めて月に降りる宇宙飛行士のステップでカウンターの端へ行く
アナゴもしくはハンバーグは月面基地めいたプラスチックの天球をまとって

四十六億年前にも通った軌道に乗る
月の砂漠に置き忘れたコカコーラの空き瓶みたいな背中の女が

10席向こうのカウンターでエンガワを一人食べてる

炙りトロサーモンは彗星となって五分ぶりに僕へ最接近をする

 

アイガー北壁より鋭いベーリング海の荒波と
黄金の種子の弾ける魚沼の秋のあぜ道が
バックヤードでめぐりあったら
宇宙がそこから滑り出す

 

小説貝田

 

『椰子は舞い降りた』 

 

 

「ココナッツ神社って知ってる?」

徹夜明けの僕に、先輩はそう囁いた。

「は」

脳に充分酸素が回っていなかった僕は、返事とも吐息ともつかない声を出した。

それまで僕の隣を歩いていた先輩は歩調を急に早め、自転車を引く僕の前に立ちふさがり、両手でステンレスのカゴをつかみ、半身を乗り出す。先輩の顔がぐぐっと目の前に迫る。頭蓋の中をもやもや漂っていた眠気が、溶けるみたいにどこかへフェードアウトしていく。

「ココナッツ神社って知ってる?」

僕の顔を見ながら、上目遣いにもう一度言った。いたずらめいた瞳が笑う。僕は答えた。

「知らないですね。なんですかその地方自治体が考えた観光資源みたいなネーミング」

あまり的を射た例えではないかもしれない。さっきより意識がはっきりしてきたとはいえ、脳がスリープモードから完全に起動しきっていない。やっぱり朝は苦手だ。といっても、時計の針はすでに12時を回っていた。朝とは何だったのか。少し離れた先にある国道からは、行き交う車が無遠慮に奏でる真昼の交響楽が響く。

「そっか」

自転車のカゴをつかんだまま、先輩は中に突っ込んだ2つの学生カバンに目を落とす。

色あせた三毛猫のストラップの付いたカバンと、何もつけていない無愛想なカバンとを口いっぱいに飲み込んだカゴは今にも破裂しそうだ。

「わたしもよく知らない、というかちゃんと覚えてないんだけど」

と言いながら先輩は、右の手の人差し指と中指で三毛猫ストラップの首を挟む。そしてやわらかく指を開いたと思うと、また首を挟む。これを二、三回繰り返す。何かを考えているときの仕草だ。

「ずっと昔さ、そんな場所に行った気がするんだよね」

首を挟んで虐げるのをやめて指を開いたまま、先輩は三毛猫をぼんやりと見ながら、そう言った。

「神社っていうよりなんというか、祠…?って感じだったかもしれないけど。多分、ここから結構遠いところだった気がする」

「あるんですか、そんなけったいな神社的な何かが」

ココナッツ神社、…ココナッツ神社?と目覚めたての脳裏で反芻しながら、僕はズボンの右ポケットに手を突っ込みスマホを探す。

「いや、それはダメでしょ」

ちょうどスマホを探り当てたところでポケットに突っ込んだ右手首を掴まれ、制止される。

「いけないねえ。君は人生の楽しみを知らなすぎる」

グググっと、僕の手首を掴む力が強まる。

「人生の楽しみ?何のことです?」

「グーグル検索では人生の解答を見つけることはできないのだよ」

女子高生に人生について教え諭される。ここはいつからマクドナルドになってしまったんだ?

先輩は俺の手首を解放し、もう片方の手もカゴから離し、またゆっくり歩き始めた。僕はその後を追いながら聞く。

「ココナッツ神社が、人生の解答というのに値すると?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

心なしか、一生ノーベル文学賞が取れなさそうな言い回しだ。

「昔行った気がするっていうのは、いつ頃の話なんです?生まれる前とか?」

「五歳とか六歳とか、それくらいだったのかな。多分お休みの日で、家族みんなでどこかに出かけたんだけど、右を見れば海、左を見れば畑っていう景色が延々と続いてすごく退屈で。でもやることなんて何もないからず〜っと窓から景色を見てたんだよね。そしたら」

「…」

何とも言えず無言でいると、二、三歩先を歩く先輩は急に一歩後ずさって、半身を返してこう言った。

「どうかした?他人の昔語りなんて興味全くない?」

「いえ…それで、その後どうなったんです?」

「ここからが重要なんだけど」

先輩は再びそぞろに歩き出す。僕はその後に続く。

「『南国椰子の風味 名物ココナッツソフトクリーム』っていう看板が見えて」

「ココナッツ神社じゃないじゃないですか」

「まあそう話の先を急ぐなよ、早死にするよ?」

「でも、ここで分かれ道ですよ」

我々は長い路地を歩いていたが、今やその道も尽き、一気に視界が開け、海辺の景色が広がる。この路地はT字路になっていて、国道と突き当たっている。国道に並んでローカル線の線路が走り、さらにその向こうには海が広がっている。そしてT字路を右に曲がれば市街地、学校のある方面に戻ることになる。左に曲がれば駅がある。時刻は1時前だった。

先輩は「止まれ」の白い停止線の前で立ち止まり、トラック、自家用車、市営バス、雑多な車が行き交う道路を見渡していた。

「なるほどね」

先輩は振り向いてこう言った。

「ねえ、運命って信じる?」

「今時陳腐なドラマでもそんなセリフ聞かないっすね」

「私は一般論が聞きたいわけじゃないんだよね」

「そうですか。運命は…自分自身の手で切り開くものだ!」

「今時陳腐なアニメでもそんなセリフ言わないよ」

「僕もそう思います」

「でもねえ、私は今日、運命はあるって確信したよ」

「なぜです?」

「だって私たち、この広い広い宇宙の、永い永い時間の中で、同じ年の同じ月の同じ日に午前の授業全部ブッチして、同じように正門からの登校を避けて、同じ裏門で巡り合ったんだよ」

「そうでしたね」

「そしてそんな寄る辺なき私たちの前に『ココナッツ神社』と言うミステリーが提示されてる」

子供の頃のあやふやな記憶を『ミステリー』と言い張ってはばからない。

そして『ミステリー』と言い張る割には肝心の神社の説明は差し置かれ、ココナッツソフトの話しか聞いていない。

「ね、探しに行こう?」

先輩はふたたび自転車のカゴを両手でがっちりホールドし、こちらに顔を近づける。

「…何をです?」

「ココナッツソフトを」

「ココナッツ神社は?!」

「あ〜…ココナッツソフトの店の近くにあったよたしか」

「ココナッツソフト食べたいだけなんじゃないですか?」

「それはある」

正直は美徳である。

「でもそれ以外ほとんど覚えてないんだよ、神社のこと」

「覚えてない?ココナッツソフトの店の近くに神社があった、ってこと以外?」

「そのとおり!」

僕は空を見上げる。よく晴れた三月の陽光を湛えた空が、これでもか馬鹿野郎といった勢いで広がっている。街路には、椿の花が咲いていた。薄い層雲がたなびき、遠く水平線近くを赤いヘリが低く飛んでいる。海の上には、ホワイトの修正液を一滴落としたみたいに小さな漁船が一艘泊まっている。

のどかな春の初めの海辺だ。

その時、水面を駆け上がってきた強い汐風が、頬を打つように吹き荒れた。澄み渡った空を飛ぶ海鳥たちが、向かい風に押しまくられ空中で静止していた。

…ああ、面倒な事案になりそうだ。僕は嫌々ながらに、先輩に尋ねてみる。

「先輩さっき、ここから遠い場所とか言ってましたよね」

先輩はスポーティなショートヘアを少しかきあげ

「言ったよ」

「大体どの辺りとか、アテはあるんですか?」

「ないね。だから探しに行くんじゃん」

「ナンセンスだ」

やれやれと両手を上げ、あからさまに呆れてみせる。先輩が。

「なんです?僕の現在の精神状態のモノマネですか?うまいですねえ」

先輩は意にも介さない。

「キミはわかってないねえ、ホントに」

「何のことです」

「人生の楽しみ、だよ」

「わかりませんね」

午後のゆるやかな陽光が、ほのかに寒い大気を満たす。

雲に、海に、街路の植樹に、堤防に憩う海鳥に、線路に、電柱の変圧器に、国道のアスファルトにも、あまねくあたりに春が降っている。

先輩はそんな景色を背にして立ち、まるでこれからまばゆく芽吹き始める新しい世界の真ん中にいるみたいだった。それでも。

「僕にはわかりません。『人生の楽しみ』って、一体何なんです?」

「それは私にもわからない」

「いやわからんのかい!」

さっきからさんざん『私には全部わかってしまってるんだぜ』感出してませんでしたか、先輩?!

「でも、君にはわかるかもしれない」

そういうと先輩は停止線を一歩越え、ひらりと身を翻し、僕の顔を見た。

「君には解けるかもしれない、『ココナッツ神社』の謎が」

話はまたも神社に舞い戻る。

どうにも、胸の奥から訝しい思いが湧いてくるのを抑えられない。

信心深さとかいうものに特段縁がないくせに、どうして先輩は神社に執着するのか?

「…なんで、そんなにこだわるんですか?その、ココナッツ神社とやらに」

「ココナッツ神社のこと、私あんまり覚えてないって言ったよね」

「ええ。だからなおさら不思議です。神も仏も信じないけど自分のことだけは信じる傲岸不遜な先輩が、そんな得体の知れない神社に何の用があるんです」

先輩はふっ、と微笑んだ。その口元は、今まで見たこともないほど悲しげに見えた。が、それはつかの間のことで、一秒の後にはどこか蠱惑的な笑みを浮かべて言った。

「実はもうひとつ、ココナッツ神社のことで、はっきり覚えてることがあるんだ」

「何でしょう」

「見たんだよ、舞い降りてくるのを」

「え?」

「ココナッツ神社が、空から舞い降りてくるのを見たんだよ」

 

 

つづく

お一人様、空いてるカウンター席でお願いシャス!

黄色いキチガイ電車から下車すると、五十がらみのジジイとババアがホームのベンチで手を取り合いながら互いを見つめ合っているという『世界の果て』を目撃した。私はガン無視してホーム上のゴミ箱に向かった。

決して『世界の果て』を見た絶望からゴミ箱に身を投じようとしたわけではなく(それならむしろホームから線路に身を投じる)、空っぽのペットボトルを捨てたかったからだ。

そしてたどりついたゴミ箱の目の前では、髪の毛が一本もない意味不明なおっさんが紙袋を大量に置いて、そこから取り出した意味不明な物体を捨て始めようとしていた。

見なかったことにしてスルーした ゴミ箱にすら縁がない

そのまま駅を出て雨上がりの家路を行く

途中に人生の袋小路が建っている 日高屋っていうんですけど

即入店する

 

金曜夜の熱烈中華食堂日高屋には『大きな物語』が流れている

 

すぐ目の前に店員がいても直接店員を呼ばず全員無言で卓上コールボタンを押す

 

テーブル席全てを占拠していた意味不明な女の集団が店を出ると、日高屋に夜の帳が降りてくる(開店から21時までの禁煙タイムが終わる)

 

緑茶ハイ280円より安い餃子220(6ヶ)

 

誰もがビールを頼む空間の中、五十がらみの夫婦(さっきのジジイとババアとは別人)がレモンサワーと肉野菜炒めを分け合っている

 

その中で私はひとり壁際のカウンターに座り、ぬるい水を飲み、箸をガンガン壁にぶつけながら餃子を食べ、小学生の頃床の掃除に使っていた雑巾の香りを思い出させる中華スープを飲んだ。茶碗から落ちた白米が(食事の才能がない)、カウンターの下の暗い闇の中に吸い込まれていく…

 

 

もう二度と日高屋に来たくはない、切なる気持ちで思いながら620円払う

店を出て2秒後 傘を忘れたのに気づく

即再入店

店員がいらっしゃいませと言いかけて怪訝な表情になるのをガン無視してカウンターの下の暗黒を覗き込む

そこには何もなかった

黄色いキチガイ電車に忘れてきたのだ 『世界の果て』に気を取られて

 

ビニール傘はお忘れ物承り所に運び込まれ保管期間いっぱいまで全員にガン無視され放置され、そこからどこかへ運ばれていく

二度と戻ってこない 取りに行く気もない

 

こうして傘はいつ来るかわからない廃棄の刻をただやるせなく待つだけの存在になる

俺の人生みたいだと思った

赤の記憶

 

 

 

私は赤が好きだった。

吊りスカートは絶対に赤が良かったし、防空頭巾も母に死ぬほど頼みこんで古着の赤い襦袢で作ってもらった。まだドロップスが手に入った頃には、二歳下の妹からドロップスの缶を奪い取り、赤いイチゴのドロップだけをほじくり出して全部食べ、激怒した妹と血みどろの喧嘩になった。赤の色鉛筆は使わずに大事に取っておいていたし、消防自動車の色が赤色から茶色に変わったのが大いに不満だった。

いろんな赤の中でも、いちばん好きな赤がある。

木苺である。キイチゴの赤。

我が家の裏手がすぐにお寺の本堂で、その奥に住職の住む庫裏と古びた経蔵が並び建っている。その境内に木苺の低木が生い茂っているのだった。五月になると青々と茂った葉緑のキャンバスが、点々と鮮やかに輝く赤色でいっぱいになる。その赤色は、国策水彩絵具のチューブから出したみずみずしい赤色よりも、さらに鮮烈に赤いのだ。私はそのキイチゴの赤を目で見て楽しみ、ついでに十個か十五個ばかり失敬してその味覚も愉しむのだった。

お寺そのものは、大した大きさではない。しわくちゃでやせこけた住職と、その住職の生気を吸い尽くしたかのようにまるまる太った黒猫が住んでいるだけ。それでもなお手狭そうなほどにこじんまりしていて、周りには二階建ての民家がひしめいている。

そしてその家々の住人達の行いによって、お寺は四方八方から自由自在に蹂躙されていた。右隣の理容院の奥さんが、寺の石塀の上に所狭しと勝手に並べた得体の知れない鉢植え。左隣の餅屋の物干し台から風に吹かれて墜落した布団が、本堂の屋根を直撃する(当の餅屋のおじさんは「広島初空襲じゃ」と嘯いていた)。家庭菜園のかぼちゃのツタが伸びに伸び、庫裏の裏口の脇の蛇口に無造作にからまりついている。これは我が家自慢のかぼちゃの仕業であった。

「そのうちな、町内丸ごと地獄に堕ちるぞ」

そう言って父は笑う。かと言って、特にツタを除去したりはしないのである。

キイチゴ泥棒である私もまたお寺を蹂躙していた。私だって、なにも好き好んでその哀れなお寺を冒涜していたわけではない。

キイチゴである。キイチゴの赤が綺麗すぎるのが全部悪いのである。

家の裏手が本堂である、と私は言った。もっと正確に言えば、幅二間ほどの庭があり(かぼちゃはこの小さな庭に植わっている)、伸び放題のかぼちゃのツタと葉を乗り越えると板塀があった。その板塀の中に、一枚だけ取り外しできる板があった。その一枚を塀から外して、本堂の裏側に侵入する。するともうそこにはキイチゴが好き放題に実を結んでいる。住職が住む庫裏の窓から死角となるように這いつくばって、好きなだけキイチゴを見て、キイチゴをむさぼる。

六歳のときに外れる板塀があることに気づいて以来、五月になるたび私はそんなふうにしてキイチゴ狩りに出かけていた。

 

 

 

そのお寺で私は、キイチゴとはまったく違う「赤」と出会った。八歳の初夏だった。初夏と言ってもまだ五月の初めで、キイチゴが実をつけるには少し早いかもしれない時期だった。

しかし、私は飢えていた。妹も飢え、父も母も飢えて、街中どこもかしこも飢餓状態に陥っていた。リュックを背負った父は超満員の列車に乗って田舎の親類から米や野菜をもらいに行き、母は味噌だの石鹸だのを求めて配給所と闇市をはしごしていた。そうしてようやくこしらえた薄い味噌味の、箸も立たない大根雑炊を囲みながらの食卓の話題は、お寺の黒猫の肉は食用にできるかどうか。冗談のはずなのに、話している父母の表情が時々真剣みを帯びるのを私は見逃さなかった。市内全部、いや国内全部がこんな調子なのだから、ドロップもキャラメルも手に入るはずがない。

そこでキイチゴである。甘いものが手に入らないなら、自分で手に入れればいいのだ。

 

例年より少し早くキイチゴ狩りに侵入した私は、キイチゴの実がまったく熟していないことを知り、愕然として地面に突っ伏す…までもなく這いつくばっていた。これではまったくの無駄足、無駄這いつくばりだ。歴戦のキイチゴ泥棒としてのプライド(?)が傷つけられる。手ぶらでは帰りたくないと思った。

ふと見ると、いつもは閉まっている経蔵の鍵付きの扉が開いているのに気づいた。寺のあちこちに勝手に入り込んだ私でも、その蔵だけはまだ未踏の領域だった。しわくちゃ住職の気配もない。私は黒猫がこの蔵に入り込むところを何度か見かけたことがあった。この機は逃せない。事がうまく運べば、今夜は肉が食べられるかもしれない。私は早速侵入を決意した。

 

薄暗くカビ臭い経蔵の奥で見つけたその「赤」は、一帖の地獄絵の屏風だった。

生きたまま串刺しで火にあぶられたり、臼に詰められて棍棒ですり潰されたり、赤く鋭い猛火の中を獄卒に追われる土気色の人間たち。煮えたぎるような血の赤の凄まじいリズムが屏風の上に荒れ狂っていた。

私はただ立ち尽くして、その地獄を見ていた。ひたすら、見ていた。

音ひとつない蔵の中に、小さな天窓から五月の黄色い陽光が細く差し込んでいた。その光が屏風の中の黒煙に散らされた金粉を星屑みたいに浮かび上がらせている。

この金粉は火の粉なんだ。地獄に堕ちた人を灼く、美しい炎の結晶。

目から耳から鼻から口から、紅蓮の赤がとめどなく流れ込んでくる。私は恐怖を忘れて、ただその屏風を見続けていた。

 

ふしぎな赤の洪水の中、ふと、父の言葉がどこかをかすめた。

「そのうちな、町内丸ごと地獄に堕ちるぞ」

 

 

ピカが来たのは、ちょうどその三ヶ月後の真夏の朝だった。(了)

 

 

200X年未知との遭遇

「青森の方言では、性行為のことをへっぺという。(中略)女性の性器は、だんべである。だんべ、ということばには美しいひびきがないのが、私には不満だった。小学校時代に、疎開してきたカマキリという男を二三人で奉安殿の裏に連れ込んで、

「東京では、なんというのだ?」と聞き糺すとカマキリは、知らないと言いはった。

「知らないなら、うちへ帰って母ちゃんに聞いてきな、その股のあいだにある毛の生えたところは、東京弁では何て言うのですか?ってな」

(中略)

…放課後、私たちが運動場の片隅の足洗い場でカマキリを待っていると、カマキリはやってきた。「何と言うんだ?」

と訊くと「ぼくは知らない」と言う。しかし「ぼくは知らないけれど、この中に書いてある」と言って封筒をとりだした。

「お母さんにぜんぶ話したら、お母さんが紙に書いてこの中へ封をして入れてくれた。僕のいないところで開けて見るようにってお母さんが言ったんだ」

(中略)

それから、石橋がゆっくりと封を切って中の便箋をとり出した。私もすぐにのぞきこんだ。白い便箋には、細い上品なペン字でおまんこ、と書いてあった。

」(寺山修司、『誰か故郷を想はざる』)

 

まことに悲しむべきことに、私は自分自身が生まれて初めて『おまんこ』ということばと巡り合ったのがいったいいつ頃だったか、どういうふうに、誰から聞いたのかはっきりと覚えていない。

小学校三年か四年の始めのころには知っていたような気がするが、やはり『おまんこ』ということばとのファーストコンタクトについての記憶はおぼろげである。

さらに言えば小学校三年か、遅くても四年の初めの頃には知っていたというのもあくまで推測である。

 

私の記憶における「おまんこ」の扱いがいい加減なのに対して、『セックス』ということばとの出会いはわりと明確に覚えている。

 

私と『セックス』とのファーストコンタクトは、小学校四年の林間学校の夜であった。

リュックと布団が敷き詰められた暗いコテージの中で『セックスって知ってる?ちんちんをまんこに入れて中でおしっこすんだってw』と誰かがふざけていた。

毛布にくるまりながら盗み聞いた、誰が言ったとも知れない(おそらく高学年のませガキだろうが)そのたわむれの言葉が、突如として私の脳裏に巨大な、あまりにも巨大な『謎』を植え付けたのだった。

 

今にして思えば『ちんちんをまんこに入れて中でおしっこする』のは、男性器の構造上朝勃ち時にしかできないと言われるかなり高度なプレイである。

高学年のませガキは、聞きかじりのオトナの知識を、とにかく披露したかったのだ。ちんちんがまんこの中で出す白いおしっこのことまでは、おそらく知らなかったのだ。

ませガキは、閉ざされた高い壁の中の『大人のセカイ』から、こっそりと手探りでかすめてきたほんの一握りのお宝を、とにかく仲間たちに自慢したかったのだ。

 

ところで、「おまんこ」を小三か小四の最初の頃には知っていたという先ほどの推測は、この記憶を根拠としている。

「セックス」という『禁断のことば』によって見せつけられた『知らない世界』とのミラクルな出会いに比べて、小四の私は別段「まんこ」に特に驚きを感じなかったのである。それどころか、ませガキ口伝の『セックス』の説明から『ちんちんをまんこに入れて中でおしっこする』情景を漠然と想像できた覚えもあるのだった。

 

つまり、「おまんこ」ということばはすでに小四の私には馴染みのある言葉で、おまんこがおおよそどんな形状なのかも(漠然と)知っていたと考えられる。

小四の夏の林間学校の時点で、私とおまんことの出会いから時間の経過があり、おまんことの出会いの記憶は色あせ(色素沈着のことではない)、驚くべき新鮮味を失っていたのではないか。だから小三、小四始めくらいの時点で、すでにおまんこを当然のことばとして知っていたはず…という推論である。

 

しかし、この時点での私は『エロいこと』への疑問と関心を持ちながらも、決定的な興味を持つことができずにいた。

『ちんちんをまんこに入れて中でおしっこする』という行為が、あまりにも無意味に感じられたからだ。ちんちんがわざわざまんこの中に入っていって、その中でおしっこしなければならないという『必然』、そんなものが自分が生きる世界にあるとは到底思えなかったのだ。

つまりその頃の私は、エロティシズムにも、優雅にも、それから『美』にも、はっきりとした意識を持っていなかったということになる。

 

劇的な変化がやってきたのは、その翌年だった。

父親の書斎の本棚の奥から期せずして見つけたある『恐るべき漫画』が、「絵に描いた女(文字どおり二次元の女)」への禁断の扉を開き、私を決定的にオタクの道へと引きずり込んだ。

が、完全にブログ書くの飽きたのでここで終了です。

全員に無視されてるので続きはありません。

 

 「…だんべということばには、農家の母親の生産的なイメージしかなかったが、まんこということばには、優雅さが感じられた。それは小学生の私たちが口にするかぎりの、もっとも神秘的なことばであった。私たちは生まれてはじめて「禁じられたことば」というものにふれた。禁じられたことばと許されたことばとを区切る「時」の大扉をこじ開けて、そこからさしこむ薄い光のなかに私たちは世界をかいま見ることができたのだった。」(寺山修司、前掲書)