一人で肉を焼くための店で一人で肉を焼くということ
世の中の事物はすべて、松屋っぽいかそうでないかの二つに分類することができる。
この観点から見ると、例えばアウシュヴィッツなどはかなり松屋っぽいのだが、昨日は偉大なる新発見をした。
一人焼肉専門店。
一人焼肉専門店も、かなり松屋っぽいのだ。
昨日の夕方、何の前触れも、一切の合理的理由もなく「今日のうちに直火で焼いた肉を食べなければ、今後死ぬまで一生後悔し続ける」という強迫観念が急激に湧き上がり、濁流となって私を襲った。
だから私は、近くにあった一人焼肉の店に避難するほかなかった。
私はこれまで、その店の前を毎日通りかかっていた。
気になり続け、しかしなんとなく気が向かずスルーして、これまで一度も入店したことはなかった。
そんな因縁の店で、私はある世界を見た。
知っての通り、一人焼肉専門店は『1人1台の無煙ロースターで好きなだけ一人焼肉が楽しめる新感覚の焼肉ファーストフード店』なのだが、そこにおいてはすべてが簡潔にして機能的だ。
小綺麗なレンガ調の、主張しすぎない内装。店の中央に広い卓があり、それを囲うようにしてカウンター席が並ぶ。
卓上では、1席に1台の割で埋め込まれた無煙ロースターが、そっけなく鈍色に光っている。ロースターの手前には底の浅い穴が開いており、店員が運んでくる肉・ごはん・キムチ・スープを乗せた長方形のトレーがピッタリ収まる。注文はタッチパネル、おしぼりと箸とつまようじは各席に用意されている。
注文し、店員が肉を運び、ロースターに点火して去っていく過程で、客はほとんど一言も発する必要がない。
すべての動線に、いっさい無駄がない。
そこに、ひたすら客を回転させるという、システマティックで工業的な意志を感じる。
むしろ、それ以外には何もない。
一人焼肉専門店。
そこは、人間の心身の奥深くから湧き上がる衝動を、機械的に・効率的にごみのように処理するための、そのためだけに特化した最終処分施設なのだ。
その施設の末席に座り、私は肉を焼き、タレにつけ、ごはんで食べる。
その合間合間に適宜、セットのわかめスープを飲み、キムチをつまむ。
肉を焼き、肉を焼き、タレにつけ、食べ、肉を焼き、水を飲む。
無機質なルーティーン。
そこで自分はもはや、ただ機械的に肉を焼き続ける、人の形をした、人ではない何かになっている。
その徹底的な人間の尊厳の奪いっぷりに、私は松屋のカウンターとおろしポン酢牛めしと、つけあわせの味噌風味のお湯を思い出さずにいられなかった。
大変素敵な強制収容体験だった。
また収容されに行きたい。
所感
京アニだからじゃない。
クリエイターだからじゃない。
人間が、あんなふうに命を落とすということ。
ごく普通に自分の人生を生き、そして懸命に仕事に勤めていた人間たちが、あんなにも理不尽に命を奪われたということが、これ以上になく、耐え難いほど無念なのだ。
今日一日、長崎原爆を受けた一被爆者の一つの言葉が、私の脳裏を離れなかった。
『人間は、父や妹のように、霧のごとくに消されてしまってよいのだろうか』
良いわけがない。良いわけがないのだ。
そんなことは誰にだって、わかりきっているはずなのに。
…どれだけ冷静に考えようとしても、私はやはり京アニの作品が好きだ。
人の心に深く根を生やし、細密に、そして信じられないほど繊細に編みだされたその作品群は、私の暗い胸の中に火を灯した。
だから私は、どうしても京アニに肩入れせずにはいられない。
私は一介の、全く無名の京アニファンでしかない。
私は、今回の事件を『一歩引いた立場』で考えることができない。
まったく馬鹿な話だ。
彼らはこれからも末長く、強すぎる熱量を持った作品を創り出してくれる。
当たり前のように、そう信じていた。
だから、どうしても思ってしまう。
どうして、よりにもよって、あんなにも優れたクリエイターたちが、こんなにも惨たらしく理不尽に、殺されなければならなかったんだ。
亡くなった方のご冥福と、被害を受けた方の回復、そして京アニの再建を心から祈っている。
そして、こんな無残で理不尽な事件が、二度と起こらないことを願う。
こんな聖人ヅラしたような言葉、死んでも言いたくはなかった。
夏の日の終わりのはじまりが今終わるところ
『夏の日の終わりのはじまりが今終わるところ』
それはそれでいいんだけど。
その一言が、口をついて出てしまう。
それはそれでいいんだけど。
その一言を教室で口に出すと、出た!いつものやつ!とみんなが笑いだす。
今日の試験終わりのHRの後もそうだった。
完全に口癖。
それはそれでいいんだけど。
でも実際、それはそれでいいじゃん。
テスト全然できなかったとしても、期末を乗り切ったらあとはもう、夏休みが始まるだけだ。赤点のことはともかく。
それは、それで、いいんだ、けど。
口をついて、そう言ってしまう時。
何かがつかみとれてない感じが、ほんのすこし、ある。
指と指の間からこぼれ落ちる何かがある。間違いなく。
本当は何かが、それはそれでよくないという感じ。
そんな意味不明なことは教室の誰にも、学校の誰にも、世界の誰にも言ったことないけど。
それはそれでいいんだけど。
なんとなく、「けど」のところで、言葉のお尻がずり下がる感じ。
ボルダリングで、狙ったホールドをうまくつかめなくて、手だけが滑りおちるみたいに。
なにもつかめずに、どこまでも下に滑り落ちてしまう。
どこまでも下に。どこまでも。どこまでも滑落する。
その底に一体何があるんだろう。
そこまで考えるといつも、頭の中に真っ黒な暗幕が降りてくる。
そこから先に進めない。
暗い闇。いつだって。今日もまた。それはそれでいいんだけど。
その時だった。
唇に、薄い微熱が触れる。
まぶたを開けると、ここは薄暗い部屋の中。
ここはベッドの上。
自分の上に覆い被さった体の下敷きになって、抱きすくめられている。
部屋は、ぬるい暑さに満たされている。
さっきエアコンを28度にしたからだ。
地球にやさしくしてる。
部屋に入った時の設定は20度だった。
裸でいるには寒すぎる。
体と体の間を殺すようにぴったりとくっついたって、寒い。
『そんなに寒い?』
そうささやかれたけど、何も言わずにリモコンを取った。
体温高いから、この寒さが気にならないだけなんだ。
地球よりも先に、自分の体にやさしくする必要があった。
ていうか、この部屋に来る客なんて、どうせ二人で裸になって騒ぐだけだ。
ルームサービスも温度設定にすこしは気をきかせたっていいと思う。
不愉快きわまる。
それでも、覆いかぶさるその背中に、ゆっくりと両腕をまわしてしまう。
唇の上を微熱が伝う。
もういちど瞳を閉じる。
闇になった世界。
闇の中でしわくちゃになったシャツの間から、分け入るように手を差し入れてみる。
36度7分の平熱が手のひらに、直に触れる。
手のひらに続いて伸びきった指が、お腹の横っちょに着地する。
重なった体は、びくん、と脈打つ。
瞬間、より強く抱きしめてくる。
食い込むように。食いつくように。
指が着地した脇腹の辺りから、やわらかな皮膚のかたちをすくい取るみたいに、つーっと指を背骨の出っ張りへ伝わせてみる。
背中の真ん中、薄い皮膚の下。
かすかに浮き上がる硬さ。
暗い闇の中で、筋のようなその背骨の一線を指先になぞってみる。
不思議な凹凸。奇妙な凸凹。
世界が始まる前から、ここにあったみたいだ。
まるで太古の化石みたいに。
ふと、遠い昔博物館で見た、翼の生えた恐竜の化石の展示を思い出す。
そいつは、ワイヤーで高い天井から吊り下げられていた。
無機的なコンクリートに囲まれた空で、どこにも飛べなさそうな、黄色くか細い翼の骨を懸命に広げているそいつを仰ぎ見た。
たしか、小学二年の夏休み。
あいつの名前はなんだっけ?
たぶん、プテラノドン。
あんま覚えてないけど、有名な恐竜だった気がする。
それはそれでいいんだけど。
巻きついた腕は、ずり下がるようにして腰のあたりに来ていた。
キスはいつしか、深くなってくる。
ひとつの熱が浸透してくる。
全てがゼロに近づいて行く。
×××
空調が効いた店内には、油の匂いが漂っている。
薄暗い部屋を出てから、灼熱のアスファルトの上を歩いた。
汗だらだらの二人がやってきたのは、街中の、ごく普通の中華料理屋。
真っ赤なカウンターの上に、真夏でもほかほかの醤油ラーメンが舞い降りる。
飾り気の無い醤油とごま油の芳醇な香りが、あわく白い湯気になって立ちのぼる。
つるんとして透き通るようなスープに、ちぢれた麺が行儀よく折り重なっている。
卵の黄身はいい感じにとろけているし、ネギとホウレンソウは青々として鮮やかだ。
そして最後に炭火の薫り高い飴色のチャーシューが、肉食獣としての遠い記憶を覚醒させる。
割り箸を割る。スープを味わいもせずに麺を勢いよくすする。
叫ぶ。
『か〜っうめえ〜〜〜〜〜っっっ!』
『なにそれ、めっちゃおやじくさい感想』
人の素直な想いにケチをつけてくる。
『は?うっさいし』
そんな雑な切り返しをしても、向こうは意にも介さない。微笑みを絶やさずこちらを覗き込み、尋ねてきた。
『チャーシューいる?あげるよ』
『えっ、なにそれ。小さい子供とお母さんみたいじゃん』
自分のチャーシューを子供に分け与える親。
そんな場末の中華料理チェーン店の片隅みたいな光景が脳裏に浮かぶ。
『何?いらない?』
『は?いるけど?』
箸と箸とで、チャーシューを受け渡し、受け渡される。
『取引成立』
『めっちゃバカじゃん』
ついつい笑ってしまう。
こっちは何も渡してない。
取引不成立だ。
めっちゃバカ。
くだらないやり取り。
茶番劇。
それはそれでいいんだけど。
正直言ってさっきから、話を何も聞いてなかった。
話しながら、ずっと上の空だった。
なんでって?
びっくりするほど安っぽいこと考えてたから。
クッションの赤い丸椅子に、隣どおし腰掛けながら。
とてつもなくどうしようもなく、チープなことだけ考えていた。
口に出すのも恥ずかしい。
だけど言っておく。
言えるわけがないから。
きっと忘れてしまうから。
今この瞬間なら永遠に、ずっと二人でいられる気がする。
ガラス張りの入り口から、光り輝く真夏が差し込んでいる。
光の中に、二人並んで座っていた。
もっと隣で見ていたい。
笑ったりおどけたり、ありえねえ〜とふざけて顔をゆがめたりするところ。
左足を右脚の上に乗せるいつもの足組みを。
不思議なウェーブのかかった後ろ髪のひと房を。
眩しい日光が弾ける白いシャツも。
永遠に二人でいられる気がする。
それだけしか考えていなかった。
それだけしか考えられなかった。
二人の距離がゼロになっても、そんなことありえはしないのに。
きっと、忘れてしまう瞬間だから。
それはそれでいいんだけど。
本当に、それはそれでいいんだけれど。
それでもまた、考えてしまう。
何もつかめず落ちていく、どこまでも、どこまでも滑り落ちていく闇の底のことを。
そこにある硬いなにかに、今なら手が触れそうな気がする。
それは骨だ。
プテラノドンの骨。
その暗闇の中にはきっとプテラノドンの翼が、静かに永遠を眠っている。
冷たく無機的に静かに光りながら、闇の中で永遠を眠っているだろう。
何を言っているんだろう。
自分でもよくわからない。
馬鹿みたいだ。
でも、それはそれでいい。
きっとあいつの骨、プラスチック製だ。
不意にそう思った。
確かめたい。
『明日だけどさ』
『え?何?』
『恐竜見に行こう。博物館にさ』
そう言うと、向こうはわざとらしくへええ、と言いながら目を丸くした。
『でも明日、学校あるじゃん』
この人、どうでもいいこと言うなあ。
『サボる』
断言して、透き通るスープを浮きつ沈みつするメンマを箸でつかみ取り、かじった。
本当は、今すぐにでも行きたかった。
そうしないと、もう間に合わないのだ。
不思議な凹凸。奇妙な凸凹。
その肌触りが、この指先から遠ざかったら。
あいつは黙って、闇の中に身を沈めていくだろう。
たぶん、この先、永久に。
それはそれでいいんだけど。
それはそれで、いいんだけど。
(了)
首なしサンタと最後の密室事件(後編)
前編はこちら
* * *
『冬考えた奴馬鹿だろ…』
特別教室棟へと続く渡り廊下を、研ぎ澄まされた夜風が吹き抜ける。
二、三の枯葉が、追いすがるようにカラカラとすのこの上を転がっていった。
渡りたくない。だが渡るしかない。
俺はポケットに突っ込んだ両手を、さらに奥底へと深く押し込む。
そのまま一息に特別棟へと駆け込む。
駆け込んだ特別棟一階の廊下は、まだ蛍光灯が点っている。
左手に目をやると木工室がある。その隣には調理室が、さらに隣に生徒会予備室、
そしてその更にお隣、すなわち廊下の果てに我らが生徒会室がある。
真っ暗な木工室のドアから教室内をのぞいてみると、暗いガラスにうち震える自分の姿が反射して中が見えづらい。失せな。失せたい。
どうにか目を凝らし、目当てのものが確かにそこにあることを確認してから、俺は再び歩き出す。
通常教室よりも間延びした大型の教室たちの横を通り過ぎた末、俺はようやく生徒会室のドアを開く。
* * *
生徒会室には役員全員がきちんと残っていた。
『"謎は全て解けた"んだって?』
入るなりニヤニヤと投げかけてきたのは副会長だ。
役員たちは机を並べて作った作業台のあたりにたむろしていた。
副会長は会長と向き合って座っており、目の前にあるケーキ皿は空になっていた。
一年の役員たちは副会長の隣りあたりで立っていたり椅子に座っていたり机に腰掛けたりしている。椅子に座っているのは暴れポニテだ。
『ああ、わかった』
前の黒板の上にかけられた時計は、6時10分を指していた。
『大変残念なことに』
俺は作業台に歩み寄る。会長が足を組んで机に頬杖つき、黙ってこちらに目を向けてくる。
『生徒会の面々による家捜しには、穴があったわけだ』
言い切って副会長の脇に立つと、副会長を挟んで向こう側にいる黒髪パッツンとシャギーショートボブの一年が、じわりと後ずさりした。なんでそんなことするの?
『穴があった?』
俺を凝視しながら、会長が立ち上がった。
『それじゃあ、盗まれたものは全て生徒会室か予備室にあると?』
『その通りだ。盗まれたものは全て、ほんのすぐ近くにある。ちょっとついてきてくれ」
俺は戸棚の横を抜けて予備室の扉を開けた。
『予備室にあるって言うんですか、本当に?』
暴れポはいぶかしげに聞く。
『ああ。答えはこの部屋にある』
役員の面々は俺に続いてドカドカ予備室に入ってくる。
改めて予備室を見渡してみる。
家捜しされたままの室内は引き出しという引き出しが開けられ、口が開きっぱなしのダンボール、ファイルやスズランテープで縛られた書類が散乱している。
部屋の奥のほう…廊下に出るドアのあたりもひどい。
生徒会役員選挙という神聖な文字列が踊る立看板は、相変わらず床に敷かれるように置いてある。そのそばの掃除用具入れからモップだのホウキだのが飛び出している。
かなりの捜索の跡だが、やはり生徒会役員たちの家捜しはまちがっている。
『それで、いったいどこにあるんですか』
暴れポニテの問いかけに、暴れポニテの後ろからこちらを伺うパッツンとシャギーが続く。勇者のように前に進み出た仲間を盾にするな。成り上がるぞ。
『予備室はこの前かなりあちこち調べたんですよ』
『引き出しとかダンボールとか、見れるところは全部見たと思うんですけど』
見れるところは、ね。本当に?
『それじゃあ聞くが』
細長い造りの予備室、その真ん中あたりの雑然とした一角に置かれた、明らかにおかしなモノを俺は指差した。
『あそこに消火器があるな』
そこに鎮座ましましていたのはみなさんおなじみ、ごくごく一般的な赤い消火器だ。
『あるけど、それがどうしたの?』
むき出しの消火器を眺めながら、会長は平らな声音でそう言った。
『なんでここに消火器があるか知ってるか?』
『なんでって。昔の火事のトラウマで、ウチの学校は消火設備がめっちゃ多いって話したと思うけど』
『去年もボヤ騒ぎあったみたいですからね〜、知らんけど』
暴れポニテはそう付け加えた。
知らんのが当たり前だ。
去年のボヤの時には、今の一年はまだ入学してないんだから。
『そう、だから消火器があること自体は別に不思議なことじゃ無い。だが、あそこに消火器が置かれてるのは不自然だ』
『どういうこと?』
会長が怪訝な面持ちになっている。
『こっちへ来てくれ』
そう言って俺は消火器を素通りし、予備室の奥、廊下に出るドアのそばへ立った。
『あれ、消火器は?』
暴れポニテは消火器の前できょとんとする。
『それ自体は別にどうでもいい。問題は』
役員たちが集まってくるなり、俺はしゃがみこむ。
そして俺はすぐ足元にある、薄緑色のリノリウムに横たわる生徒会役員選挙の神聖なる立て看板を持ち上げた。
『こいつだ』
立て看板の下から現れた床面。
そこにあったのは、赤い円に白字の「消火器」マーク。
まさしく、地下収納の消火器ケースの上蓋だ。
『えっ』
一年たちが驚きを漏らす。
『これは…』
『この部屋…生徒会予備室は、かつては生徒会室であり、さらにその前には裁縫室だった』
『え?何のことです?』
『生徒会予備室と生徒会室は、もともとは一つの教室だったってことだ。去年の冬のボヤ騒ぎの結果、お隣の調理室は今年の春休みに改修工事されることになった。その時手が加えられたのは、調理室だけではなかったんだ。一緒に、生徒会室でも工事が行われたんだよ』
床下収納の蓋から顔を上げると、目の前には汚れの少ない壁が広がっている。この壁一枚の向こうに生徒会室がある。
『春の工事の時、生徒会室の後方の一角が壁で区切られて、生徒会予備室が作られた。つまり、予備室と生徒会室を区切る壁…今俺たちの目の前にあるこの壁は、今年の春になるまで存在しなかったんだ』
『今年の春までの生徒会室は今よりも広かった、ってわけね』
会長は得心顔だ。副会長はむき出しに置かれた消火器の方をちらりと見た。
『第一特別教室棟の特別教室には、俺だって何度も入ってきた。木工室も調理室も理科室も、だいたいの特別教室には。しかし、今日初めて入ったこの生徒会室には違和感があった。少し狭いんだ、他の特別教室よりも』
ほええと言いながら暴れポニテがかすかに後ずさりして、すぐ後ろに詰まっているパッツンとシャギーにぶつかる。その隣で副会長がシャツの裾をつかんでいるのを横目に見ながら、俺は続けた。
『ここの生徒会室は特別教室棟の教室の一つなのに、特別教室特有の面積の広さがない。普通の授業教室と同じ広さなんだ。それも当然だ。今の生徒会室は、今年の春までの生徒会室と比べると狭くなったんだ、ちょうど予備室一部屋分ね』
ポン、と手を打ったのは会長だ。
『言いたいことがわかった。生徒会室と予備室を合わせた広さが、ちょうど特別教室一つ分と一致する、ってことでしょう?』
『そのとおりだ。生徒会室と生徒会予備室は、かつて一つの裁縫室…一つの特別教室だった。そうだとすれば、特別教室には必ず一つの『穴』があるはずだろう?』
『『穴』、ですか?』
暴れポニテはすこし前かがみに、しゃがんだ俺を見下ろしている。
『消火設備にうるさい我が校では、一階の特別教室全てに床下収納で消火器を設置している。その床下収納が作られる位置は、他の特別教室と同じ場所。教室後方のドア近くの床だ』
そこで、パッツンが暴れポニテの左後ろから顔を出して言う。
『生徒会室の後ろ側は壁が作られて予備室になったから、床下収納は予備室にしかないんですね』
暴れポニテの右後ろから顔を出しているシャギーが続く。
『あれ?でもだったらなんで…』
気づいたみたいだな。
『おかしいと思うだろ?予備室には消火器をしまうための地下収納があるのに、なんでわざわざあそこに消火器が置いてあるんだ?』
俺の言葉に、全員の視線が床下収納の上蓋に向かう。
『もうわかったみたいだな。あの消火器は本来、この床下収納にしまわれているものなんだろう。だとすれば。その消火器が入っているべき床下のスペースには、今何が入っているのか』
答えは明白だ。
上蓋の取っ手を引き出し、俺は一気に上蓋を開く。
暴かれたその『穴』の中にあったのは、消しゴム、マグカップ、歯磨き粉、赤い電動鉛筆削り、安っぽい(しかも開封済みで、輪ゴムで縛られた)袋入りのスナック菓子。
それらの品々が、何かが詰められた白い袋の上に載せられていた。
穴の中を一瞥して、俺はおもわず目を細めた。
『ほんとに、あった…』
暴れポニテはやや放心気味につぶやいている。
副会長はしゃがみこんで『穴』の中を覗き込み、パッツンとシャギーも口々にお気持ちを漏らす。
『マジか〜…マイメ□パイセンやば…』
『キモッ…』
おい、最後の反応おかしいだろ。
落ち着きを失った空気の中で、冷静に口を開いたのは会長だった。
『なぜ、わかったの?』
目の前の白い壁に手を触れてみる。表面はペンキ塗りで、ムラはない。
『最初のきっかけは、この壁…生徒会室と予備室を区切る壁が、生徒会室と予備室の他の壁より年季が入っていないのに気づいたことだった。しかしそれだけでは確証が持てない。そこで、俺は副会長に聞いてみた。壁ではなく、生徒会室の後ろのドアについてだ』
『え?ドアについて?』
『あのドアもまた、妙だと思った。予備室のドアに比べて、そのすぐ隣にある生徒会室のドアの方が新品に見えたからな』
『さっき聞かれたアレか』
副会長は微笑を浮かべている。
『ああ。“今年の春に新しいドアがついた”、確かそう言ったな』
『言ったよ』
『それってつまり、今年の春、ドアが新品に取り替えられたってことですか』
暴れポニテの理解は妥当だ。だが。
『俺も一瞬そう思いかけたが、そうではないんだ。副会長、改めて聞いてみてもいいか?』
『いいよ?何?』
『“今年の春に新しいドアがついた”というさっきの言葉は、“今年の春の工事で、生徒会室の後ろに新しくドアが作られた”という意味だったのか?』
『そうだよ。もともとの生徒会室の後ろのドアは、部屋が壁で区切られて予備室のドアになっちゃったからね。そうなると、生徒会室の出入り口が一つだけになる。だから、普通の教室の広さに改造された新生徒会室の後ろに、ドアが新しく作られた』
『“今年の春に新しいドアがついた”という文章にはふた通りの意味がある。今年の春に“古いドアと入れ替えに、新品のドアが取り付けられた”か。あるいは、“ドアそのものがなかった場所に新しくドアが作られた”か。これがもし後者なら、今年の春の工事は調理室だけじゃなく、生徒会室でも行われたという証左になる』
会長はふ〜んといった表情をする。
『さっき用務員室に行ったのは、その推理が正しいかを確かめるため?』
『まあ、そうだな』
思いっきり変な奴を見る目で、用務員は教えてくれたものである。
調理室の工事の予算と同時に、生徒会室の改修の予算も出たのだそうである。
『予備室は、間違いなく今年の春の工事で造られたそうだ。ちょうど調理室で工事をするから、それに便乗してってことらしい』
会長はそれで納得がいったらしい。
暴れポニテたちは、『穴』の周りを囲んでいる。
『あの〜、ちょっといいですか?』
一年たちは穴の中身に興味があるようだ。
『この白い袋、一体なんなんですかね』
『なんか色々入ってる感じなんですけど』
盗まれたものたちを拾い上げ、さらに穴の底にある白い謎の袋を外に出そうとしているようだ。
『それはちょっと待ってほしい』
『待ってほしい?なんでですか』
『その袋を取り出すのは、犯人の動機を明らかにしてからだ』
『犯人の動機?』
暴れポニテ一同が怪訝な表情を浮かべる。
会長の視線が、刺すように俺に向かってくる。
『そう言うからには犯人が誰だか、わかってるってことね』
『謎は全て解けたって言ったろ。この事件の場合』
周りを囲う役員たちに背を向けたまま俺は立ち上がり、もう一度足元の穴を見下ろす。
『動機さえ導き出せれば、犯人にたどり着くのは簡単だ』
『話してみて』
『考えるヒントは、現場に残されていたサンタの肉片だ。残された肉片を組み合わせることで、サンタの人形は完成する。そしてその完成は、同時に事件の完成を意味する。そして犯人は、その完成の日が24日のクリスマスイブ、つまり今日になるように事件が起こしてきた』
『25日に人形が完成するように事件を起こしても、肝心のサンタのパーツを誰も見つけてくれないかもしれないからでしょ』
『それもそうだが。犯人がメッセージを伝えるためにサンタの人形を使ったのには、もっと単純な意味があるとしたら?』
『え、単純な意味って?』
『そのまんまだよ。サンタって言ったら、普通何を想像する?サンタクロースって、いったい何をする人だ?』
暴れポニテが解答する。
『そりゃ、クリスマスプレゼントを持ってくるんですよね、白い袋担いで、トナカイに乗って』
乗ってるのはソリだが、ここでは触れないことにする。めんどい。
『そう、サンタクロースはクリスマスプレゼントを持ってくる。それこそ、犯人がサンタの人形を使って伝えたかったことなんじゃないか』
はあ〜?と言いたげな表情で突っ込んできたのはパッツンだ。
『伝えるも何も、そんなん当たり前じゃないですか』
『だが、犯人はわざわざそれを伝えようとしたんだ。ところで会長』
『なに?』
『今日開かれた生徒会のクリパでは、プレゼントを受け渡すイベントはなかったんだよな?』
『え、またその話?確かになかったけど…え、もしかして、この穴の中の白い袋って』
『そこから先は、犯人の口から聞いたほうがいいんじゃないかな』
俺はゆっくりと犯人に向き直った。
まったく、どのツラ下げて聞いてたんだか。
『そうでしょう、副会長』
名指された副会長は不敵に笑っている。
『ご指名どうもありがとう。どうして私が犯人になるのかな?』
『簡単だ。この事件の犯人であるためには、幾つかの条件をクリアする必要がある。まずひとつは、生徒会役員であること。23日に足をつけることなく生徒会室内で犯行を実行できるのは、予備室のドアを鍵なしで開けられる『裏技』を習得している者だけだ。二つ目は、現役の役員であること。最後の犯行を行う日を25日でなく24日にするためには、生徒会役員が25日には生徒会室に来ないと言う事実を認識している必要がある。昔生徒会に所属していた人間だったら『裏技』は知っているだろうが、今現在の生徒会の活動予定までは知りようがないはずだ』
現役役員のタレコミがあれば話は別だが、犯人の“目的”を考えれば問題外だ。
これで犯人は、現役生徒会役員5名のうちの誰かに絞られる。
『そして三つ目。これが決定的なんだが、犯人は去年も生徒会に所属していた人物でしかありえない。つまり、春休みの工事よりも前の生徒会室後方ドアのそばには、地下収納の消火器ケースが存在すると知っていた者。そいつこそ犯人だ。普通の生徒は、春休みに特別棟の一角で行われた工事のことなんて全く知らない。特別棟を頻繁に来る事情のある生徒以外は、調理室と生徒会室の工事のことなんて全く知らずに春休みを謳歌していただろう。そして今の生徒会に、去年から生徒会役員として所属していて、今も現役の生徒会役員である人間はたった一人しかいない』
『だから、私しかいないってことか』
ここまでだな。
『俺の解説はもういいだろ?ここから先は、自分で説明してくれ』
『お気遣いわざわざどうも』
副会長はニヤリと笑う。
『確かに私が犯人だよ』
会長はその大きな瞳を更に見開いた。
『副会長…いったいどうして…』
『副会長、信じてたのに…私の歯磨き粉をどこにやったんですか?!返してください!』
『いやそこにあるでしょ』
『ほ〜ら落ち着けドウドウドウ』
いななきわめき副会長に襲いかかろうとする暴れポニテを、パッツンとシャギーがブリーダーよろしく諌める。ご苦労様です。
副会長に盗まれ、そして発見された物品たちは近くの机の上に並べられている。
ていうか歯磨き粉一つにそこまで思いを懸けられるものか。その感受性を大事にして生きて欲しい。生きろ。
副会長は穴の前でしゃがみ込んだ。
『よっこいせ』
年寄りくさい掛け声とともに、穴の中に入っている白い袋を取り出した。
中身がいろいろ入っているようで、結構かさばっている。
『その袋の中身って、もしかして』
会長の問いかけを背中に浴びながら、副会長は白い袋を肩に掛けて立ち上がった。
『そうだよ。せっかくのクリスマスなんだから』
傍から様子を伺っていた一年生の方を見て、堂々言い放つ。
そのまなじりから、あふれんばかりの優しさを込めた笑顔で。
中身でいっぱいの白い袋を背負ったその姿は、さながら…
『サプライズプレゼントだよ、後輩諸君への』
* * *
明らかに間違っている。
そこには、あるべきものがなかったのだ。
三人の一年生役員たち全員に無事にプレゼントが渡された。副会長が一連の事件で騒がせたことを詫び、『盗まれた』モノたちがしかるべき場所や持ち主に還った時、時間はちょうど6時半だった。
副会長渾身のサプライズの余韻に浸る間もなく、俺たちは足早に予備室から生徒会室に戻り、手早くコートを羽織り、カバンを掴んで慌ただしく生徒会室を出て、扉の鍵を閉めた。
強大な権力を握る悪の団体であるところの生徒会といえども、許可なく最終下校時刻を30分オーバーするのはよろしくない。ちっさ。
一年生たちは先に帰して、俺は会長、副会長と連れ立って職員室へ向かった。生徒会室の鍵を返すためだ。
もはやおねがいマイメ□ディの放送は始まってしまっている。万事が終わってしまった俺には、もはや急いで帰る意味は無くなってしまった(今からどんなに急いで帰っても家に着くのは7時過ぎだ)。むしろ家に帰る意味すらない。なんならこの世にも全く意味はないと言える。ぜんぶがどうでもよいな。
『それにしても、見つけられないもんだね』
会話の口火を切ったのは、俺の前を会長と並んで歩いている副会長だ。
『収納のフタの上に、単に看板置いてたただけだったのに』
いかにも不思議そうな表情を見ると、獲物の隠し方に特に深い意図はなかったらしい。
『いや。なかなか巧妙だったよ』
“普通に考えると見つかってしまいそうな場所に、あえて隠す”というテクニックは、世界で最初の推理小説にも登場する大変由緒あるやり口なのだ。
副会長は、知らずにそれを応用していたのだ。
『何も知らずに見れば、ただ立て看板が床に横たわってるだけだった。その下に“穴”が隠れているとは、普通は考えない』
それに、その看板が生徒会役員選挙の立て看板であるというのが傑作だ。
もともと生徒会に所属していた副会長以外の役員は、役員選挙の後から生徒会に加わったはずだ。
つまり、彼女たちには予備室の立て看板を自分で動かす機会がなかったのだ。
年に一度しかない役員選挙でしか使われない看板を、選挙もないのにわざわざ動かすなんてことはそうそうないだろう。
だから、会長も暴れポニテもパッツンもシャギーも床下収納の存在に気づくことができなかったのだ。
『それにしても変じゃない?』
唐突に疑義を呈するのは会長だ。
『予備室に置いてあった消火器。あれ、私が生徒会室来るようになった時には、もうすでに予備室に置いてあったと思うんだよね。役員選挙の後だから…半年くらい前からかな。なんであの消火器は床下に入ってなかったんだろ?』
そうだとすれば確かにおかしい。
あの消火器は、間違いなく予備室の消火器ケースの物だった。消火器本体と収納の中の消火器ケースに、同じ管理番号が記載されたシールが貼られていたのだ。
会長の言葉が正しければ、消火器はクリスマスの半年も前から本来あるべき床下収納に格納されていなかったことになる。なんでそんなことになっていたのか?
しかしその疑問には、副会長から明快な答えが返ってきた。
『それは私が出しておいたからだね。たしか選挙の前だったな』
『え、なんでそんなことを』
会長があっけにとられる。
『そりゃあもう、今日のサプライズのためだよ』
『おいおい』
仕込みに半年もかけたのか。サプライズに本気出しすぎだろ。
『前の生徒会のメンバーがさ。上級生は引退したし同級の子も転校と留学でいなくなっちゃったんだけど。私以外みんないなくなっちゃうから、後の世代に何かを残したいっていう話になってね』
『まさか、前の生徒会役員ぐるみでこのサプライズを計画した…?』
『その通りだよ』
他に残すべきレガシーあるだろ。
会長は少し目を細め、しかしどこか嬉しそうに言った。
『バカだなあ』
そのとき、副会長はほころぶように柔らかく笑った。
『でも、面白いじゃん?』
会長はカバンを背負い直し、ふうと短いため息をついた。
『なんか…完全にしてやられたって感じ』
職員室にたどり着くと、我々はおもむろにジャンケンをした。
その厳正なる結果を反映し、生徒会を代表して会長が鍵を返しに職員室に入っていく。
教員からのお小言は会長に全てお任せし、俺と副会長は廊下で待っていた。
『にしても、焦ったよ。会長が生徒会室にあんた連れて来た時さ』
壁に少しもたれかかりながら、副会長は体に溜まった緊張というガスをふっと抜くみたいに喋った。
『生徒会の誰かが…まあ本命は会長だったけど…誰かが謎を解いてくれれば、別にそれでいいと思ってた。でもまさか、わざわざ外部の人を呼んでくるとは…』
『悪かったな。せっかくのクリパに乱入して』
副会長は壁に背を預けたまま、足元に置いたバッグを右足でぽすっと蹴った。
『別に悪くはないでしょ。私の見込みを会長が軽々と越えてきただけ』
どこか満足げで、肩の力が抜けたようだ。サプライズプレゼントを無事渡せた、という安堵がそうさせるのだろう。
人通りもない職員室前の廊下に、どこか柔らかな温度が流れていた。
このまま、何も言わなくたっていい。
しかし、俺は『余計な一言』を言わずにいられなかった。
『それにしてもどこに行ったんだろうな、サンタの首』
一瞬、副会長の表情が固まった。
結論から言って、首なしサンタは完成しなかった。
なぜか?
予備室の床下収納の中に入っているべきサンタの首が、存在しなかったからだ。
サンタのパーツは全て揃わなかった。
気づいた瞬間、俺の推理に誤りがあったのか、と思った。
しかしそうではなかった。
犯人である副会長自身が、たしかに床下収納にサンタの首を入れた、と言ったのだ。
『間違い、ないんだよな』
俺の問いに、副会長は静かに答える。
『23日に予備室に来た時、私は間違いなくサンタの首を床下に入れた。これまでに盗んだ物と、プレゼントと一緒にね』
『しかし、蓋を開けたらびっくりだ』
プレゼントを入れた袋の中も、当然探した。だが、サンタの首は入っていなかった。
生徒会室と予備室を徹底捜査する時間も気力もなかったから、俺たちはそのまま生徒会室を立ち去ったのだが。
『…ねえ、これってつまりさ』
かすかな不安をはらんだ瞳が、そっと目配せしてくる。
『言われなくてもわかってる』
めんどうなことになった。
この事実が意味するのは、たった一つ。
生徒会役員の中に、この事件を解いていた何者かがいる。
それも、俺よりも前に。
23日、副会長が出て行った後で予備室に入り込み、サンタの首を持ち出した者がいたのだ。
副会長と俺は、その何者かに、ものの見事に出し抜かれた。
* * *
翌朝である。
本日は12月25日、金曜日。終業式。そして、まことに忌むべきクリスマスだ。
時間は午前8時ジャスト。
俺はなぜか学校にいた。
廊下を歩いてみれば、窓という窓からあまりにも白々しい朝の陽光が情け容赦なく流れ込んでくる。そして情け容赦なく寒い。
普段は8時半の本鈴とともに堂々教室に入場するのだが、今日は事情が少し違った。
昨日、ペンケースを図書室に忘れてきたらしいのだ。図書室を出る前、確かにカバンに入れたつもりだったのだが。
明日から始まる冬休みにことさら勉学に励もうという気はないが、そうは言っても筆記用具全部を学校に忘れたまま年越しというわけにもいかない。
今日一日、今日一日終業式を乗り切れば解放される、今日一日、今日一日だけ…と死に物狂いで念じながら布団から体を引き剥がし、いつもより30分早く登校して図書室に行くことにした。
別に終業式後に取りに行けばいいんじゃね…という常識的かつ最善かつ唯一にして絶対的な選択肢に気づいた時には、すでに図書室の鍵を開けていた。
この世の全てを恨みながらドアを開く。
目の前に広がるのは、本棚と読書机が居並ぶ何の変哲もない図書室だ。
昨日の帰りにカーテンをかけた室内はまだ薄暗い。
照明をつけてから、入口横の貸出カウンターに入る。
見たところ、カウンターの表には何もない。
それなら、とカウンターの引き出しに鍵を差し込む。
開錠された引き出しを開ける。
中には各種のファイルや帳簿が整然と仕舞われている。
ペンケースは確かにそこにあった。
しかし、それだけじゃない。
ペンケースの下に敷かれていたのは、昨日引き出しを覗いた時には存在しなかった、俺宛の見知らぬ白い封筒。
そしてもう一つ。
ご丁寧にも『それ』は、俺をあざ笑うかのように、ペンケースの蓋の上にのせられていた。
真っ赤なお鼻の、サンタの首だった。
* * *
終業式を終えた真昼の校内には人影もまばらで、閑散としている。
生徒の多くは、もう学校に用はねえとばかりに三々五々に下校していく。
ごく短くケチくさい冬休みの幕開けだ。
ほぼ何も入っていない軽いカバンをつかんで教室を出て、俺は学食に向かうことにした。
弊学には安くて早くてまずいランチを提供してくれるありがた〜い学食があり、そこに購買部が併設されている。
そして本日は学食も購買も営業していない。
営業していないが、ランチスペースは開放されている。
普段の昼休みはかなり混み合うが、生徒どもが昼前に学校から解放される今日は全然人気がない。
無駄に広大なスペースに並ぶテーブルと椅子は、ただただあるがままに並んでいる。
正門に通ずる道を臨む正面の大窓からのぞく空は、いつのまにやら白い雲に覆われて文字通りの曇天だ。道に沿って並び立つ木々はいずれも枯れて、寂しげな枝々がむなしく宙を指していた。
購買部の売店のすぐ隣にある自販機コーナーでディニッシュパンといちご牛乳を買い、俺は手近の席に荷物を置き、腰を落ち着けた。
卓上に本日の昼食を並べてから、カバンの中をまさぐる。
取り出したのは、白い封筒だ。表には俺の名前が書かれている。
HRの時間に一度封を切って中身を確認したが、改めて検討してみたいことがあった。
封筒の中には白い便箋が一枚入っている。
その便箋には、ある大変個人的な感情を吐露する文章が簡潔に書き連ねられていたが、ここではその内容に触れない。
気になった点が二つあった。
一つには、差出人の名前が手紙のどこにも書かれていないこと。
もう一つは、その手紙の末尾に今日の14時に図書室前に来て欲しい、と書いてあることだ。
ポケットからスマホを取り出してみる。
今は11時半だ。
だいぶ…だいぶ時間がある。
手紙で一方的に宣告された時間までにやることは、特にない。
その手紙が誰からのものなのかも、なぜ手紙とともにサンタの首があったのかも、そして昨日俺が施錠してから今日の朝俺が鍵を開けるまで、完全な密室だったはずの図書室の、それも鍵がかかっていたはずの引き出しの中に、一体どうやって手紙とサンタの首を入れたのかも。
そんなことは考えるまでもなく明らかだった。
* * *
二時間半たらずの間に、スマホの充電が残り2%になった。
13時50分になったのを確認してから、俺はスマホをしまってカバンを背負い、席を立ち、図書室へ向かうことにした。
渡り廊下をぶらぶら渡り、特別教室棟に入る。
無限に続くかと思われた階段を上りきって四階にたどり着くと、廊下を右に曲がる。その突き当たりに図書室がある。
俺を呼びつけた相手は、そのドアの前に立っていた。
『マイナス5分遅い』
生徒会長は、つとめて意地悪そうに言った。
俺は何も言わずにゆっくり歩いていき、会長の前に立った。
『もしも俺が手紙を見つけてなかったら、どうするつもりだったんだ?』
『それはありえない。あなたのまったく無駄に真面目な性格から言って、ペンケースを学校に忘れたら、必ずそれを取りに来る』
会長の人間観察に文句をつけたいところではあったが、ここは立ち話に向いた場所ではない。図書室も今日は誰も来ないだろうが、図書当番は詰めている。
『場所を変えよう』
『そうだね。…ついて来て』
会長はさっさと歩き出す。
無限に続くかと思われた階段を下りきって一階にたどり着くと、廊下を右に曲がる。その突き当たりに生徒会室がある。
会長がガラガラとドアを開いて中に入るのに続いて、生徒会室に踏み込む。
昨日来てから24時間も経っていない。自分の人生において、こんな頻度で生徒会室に立ち入ることがあるとは思いもしなかった。
室内には誰もいない。そういえば昨日、25日は誰も生徒会室に来ないって話したな。窓にはカーテンがかかっており、少し薄暗い。
作業台の上に会長のカバンと、首なしサンタが乗っている。便乗して、俺の荷物もそこに置かせてもらうことにする。
会長は後ろ手にドアを閉めるとそのままドアに背中を預け、こちらに視線を向ける。
俺はその視線を正面から見返す。
『手のひらの上で踊らされてたんだな、俺も、副会長も』
会長は少し姿勢を崩しながら微笑する。
『人聞き悪いこと言うなあ』
『正直、俺は調子に乗ってしまった。連続盗難事件の謎を、見事に暴いたってね。それがお前に仕組まれたことだと気づきもせずに』
『仕組まれたこと?それだとまるで、すべての黒幕は私みたいな言い方だね』
『事実、そうだろう。俺よりも先に、副会長のサプライズに気づいてたんだろ?』
『あれ、昨日自分で言ったこと忘れた?春休みの工事よりも前、生徒会室後方ドアのそばに地下収納の消火器があるって知らなければ、この事件を解くことはできなかったはずだよね』
『いいや。お前は消火器の存在を知ることが…違うな、推理することができたんだ』
『へえ?どうやって?』
大仰に大きな目を見開く。
『予備室ができた時の春の工事。あれはそもそも、お隣の調理室の改修工事がきっかけで実施されることになったんだよな』
『そうみたいだね』
『調理室の主である家庭科教師は、春の工事について当然知っていた。少なくとも、工事の範囲が調理室だけでなく、生徒会室も含まれているということ、そして調理室の隣に“生徒会予備室”ができること。それくらいは知っていただろう。そりゃあ生徒会室の中で行う工事のことなんて、家庭科の教師の知ったことではない。だが、自分の教室の『お隣さん』が変わるんだったら、それを知らないって方が不自然だと思わないか』
会長は、まっすぐこちらを見据えている。
『そしてお前は昨日、俺が職員室に図書室の鍵を返しに行った時、家庭科の教諭と仲良くおしゃべりしていた。それが意味するところははっきりしてる。お前は、生徒会予備室が春に造られたばかりだと、家庭科教師から知りうる立場にいた』
身じろぎもせず、会長は静かな笑みを湛えている。
その笑みの奥にある感情が見えなかった。
『“特別教室の後方には床下収納がある”こと、“生徒会室はかつて特別教室だった”こと、そして“生徒会予備室は生徒会室の後方に造られた”という三つのシンプルな事実を組み合わせれば、誰でも盗まれたものとプレゼントの在り処にたどり着くことができた。副会長を除けば、その三つの事実にたどり着くことができた生徒会役員は、生徒会長以外にはいなかったんだ』
そう考えると、理解できることがある。
『そして自分がすでに事件を解いていることを隠して、お前は俺に事件を解かせようとしていた。わざわざ俺を家庭科室に連れて行き、床下収納を足で突いて俺にその存在を意識させた。“悲劇的結末”ってのは、俺用のお茶請けが何もないなんてそんな馬鹿げた話じゃない。床下収納の存在を知らせなければ、この事件を解くことができないという意味だったんだな?』
『ふっ』
突然噴き出したと思うと、会長はくつくつと笑った。
『何か間違ってるか?』
『なにも間違ってはないよ。ただ、』
『ただ?』
『ほんとそういうところ、結構真面目だよね』
『真面目ついでに、もうひとつ』
俺はカバンから、サンタの首を取り出す。
そしてその首をあるべきところに戻す。
完成だ。
ぱちぱちぱち、と会長が小さく拍手する。
『おめでとう。これで延長戦終了だね』
『ありがとう?』
五体揃ったサンタの木人形の姿が、そこにはあった。
俺はひとりごちた。
『こうなってしまえば、図書室の密室なんて馬鹿馬鹿しい』
密室もクソもありはしなかった。
昨日図書室にやってきた会長は、俺が窓の施錠をしている隙に図書カウンターの引き出しを開け、俺のカバンから取り出したペンケースと封筒、そしてサンタの首を入れたのだ。そして何食わぬ顔で俺とともに図書室を出た。
全く拍子抜けな話だ。なんだか力が抜けて、気分が弛緩してしまう。
その時だった。
ガチャリ、という金属音が生徒会室に響く。
『…なんの音だ?』
会長は俺の問いには答えなかった。
『手紙。読んだんでしょう?』
絢爛とした瞳をしなやかに細めながら、会長はドアにもたれていた。手を後ろに回したまま。
『…鍵をかけたのか?』
会長の表情はどこまでも楽しげだ。
『他のドアもかけてあるよ。予備室のドアもね』
俺にはその笑みの底にあるものが、見えていなかった。
あらゆる思念と感情が、俺の中で一つの、あまりに素朴な疑問へと結びつく。
『なんでだ…どうしてそんなことをする?』
『わからない?』
カーテンの間から、すでに傾き始めようとする黄色い陽光が帯のように流れ込んだ。
その光の綾の中で、彼女は美しい華が綻ぶみたいに笑って、言った。
『ずっと一緒にいたかったから』
* * *
その時初めて、俺は自分が犯した致命的なミスに気付いた。
そうだった。
俺はあの時、副会長にこう言うべきだったのだ。
『俺にも教えてくれないか、副会長。生徒会一子相伝のワザってやつを』
(了)
また短歌つくった
このときの作者の気持ちを答えよという設問を見た覚えなし
家系に人の心は還りゆく濃いめ固めの魂の詩
気がつけば見知らぬ壁が立っていた昔遊んだ友の家の跡
日曜日町に流れる陽の銀河窓に瓦に千々に輝け
首なしサンタと最後の密室事件(前編)
『首なしサンタと最後の密室事件』
クリスマスが今年もやってくる。
そのまえに、必ずやってくるものがある。サンタさんのことじゃない。
クリスマス・イブである。
俺がこの世に爆誕したのは、まさにクリスマス・イブ当日だった。
そしてその日付は生まれた瞬間に背負わされ、俺の足を一生に渡って引っ張り続ける呪いだった。
賢明なる読者諸氏、考えて欲しい。
多くの子供たちにとってクリスマスとは、誕生日と並ぶ年に二回のプレゼントのボーナスステージだ。
そこにおいて、クリスマスイブが誕生日である、ということはどういうことか。
もうわかっているはずである。
誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが悪魔合体し…ボーナスステージはたった一度となる。
それはありえたことか?ありうべきことか?
周りの友達は年に2度、自分の望むモノ、喉から手が出るほど渇望する何か…を手に入れることができる。
しかし自分は一度だけ。自分だけは、年に一度きりなのだ。
学校のみんなは誕生日とクリスマス、年に二回もプレゼントもらえる、なのに僕だけは一回だけ、こんなの絶対おかしいよ、とわめきながら両親に訴えかけた八歳の冬の日の光景が、まぶたの陰にうっすら浮かぶ。
そんな言葉が聞き入れられるわけがない。
生まれながらの悲劇を背負わされた運命の子をこれ以上増やさぬために、俺には何ができるか?6限の現代倫理の授業を完全に無視して考えた結果、一つのあまりに明快な答えにたどり着いた。
それはまさにコロンブスの卵であり、コペルニクス的転回でもあった。
そうなのだ。
人類が子供を作らなければいい。
なんなら、人類は結婚しなければいいのである。
『そんなことより、聞いてほしいんだけど』
俺の話の区切りを捉え、彼女はすらりと斬り込んできた。
でも、なにも焦ることはない。
午後4時半過ぎ。十二月下旬の図書室の窓は灰色の空でいっぱい。それでも寒空の所々を、オレンジ色の残照が、うろこのようにたなびいている。
俺は座ったまま少し身をかがめ、受付カウンターの内側、足元にある電気ヒーターのレバーを“強”に合わせると、落ち着いて、そしてできるだけ真剣に切り出した。
『いいか?俺はなにも俺だけの運命を呪ってこんなこと言ってるんじゃない、これからの将来、このまま手をこまねいていれば無数に生まれ続けるであろうクリスマス・イブ生まれの子供たちの』
『ここ一週間、生徒会室で変なことが起き続けてる』
『無視』
『誰かが備品とか役員の持ちものを隠してるみたいなの、毎日ね』
『なんじゃそりゃ。単に備品だの持ち物だのの紛失が一週間毎日連続してしまいました!って話じゃないのか』
そうだとしたら弊学生徒会、物品の管理能力に不安がありすぎるのだが。
しかしその不安は不幸にも一蹴されることとなった。
『それはない。明らかに何者か、それもおそらく同一犯の犯行なのは間違いない』
『なんで断言できるんだ?』
『これを見て』
彼女は肩からかけたボストンバッグに右手を突っ込んで何かを取り出し、俺の面前の、帳簿とペンケースだけが出ている寂れたカウンターに置いた。
『なんだ、これは』
『サンタクロースの人形。木製のね』
『そんなことはわかる。俺が聞きたいのは』
その先に続く言葉を口にしようとする俺の脳裏を、一つの予感がかすめた。
ああ、絶対めんどいことになりそうなやつだ。
『…なんでこの人形には、頭がないんだ?』
『それは私が聞きたいところなんだよね』
カウンター上に無残に横たわったサンタの木人形は、いたってシンプルなものだった。赤いサンタの服に赤い帽子。でっぷりとした洋梨のような胴体は赤く塗られ白いボタンの模様があしらわれている、両腕が球体関節ではめ込まれている。下半身は半球で、赤く塗られている。そしてその半球の下面に黒い靴が二つくっついている。これが両足らしい。
全体的にかなりまん丸にデフォルメされた、でぶっちょで愛嬌のある人形なのだろう。
その人形が首なしでなければ、の話だが。
見たところ、胴体の首元の白い襟の間に、本来なら頭のパーツがはめ込まれてあるはずらしい。
しかし、そこにあるべきサンタの首はない。
さながら、斧で手荒く断ち落とされた首の切断面を覆い隠すかのように、首元には赤い帽子がのっかっている。
まったく趣味の悪い代物だ。
『物がなくなったあとに、必ずこのサンタの人形のパーツが残されていた。消しゴムが盗まれたら、消しゴムが入っていたペンケースにサンタ人形の右腕が。生徒会室に置いてあったマグカップが盗まれたら、マグカップが置かれていた場所にサンタの胴体が…って感じでね』
さながらバラバラ殺人の様相を呈している。
『どう考えても犯人からのアピールだよな。“この犯行は、わたしが犯(や)りました”的な』
『そういうつもりなら、犯行の生産者として責任持って自分の名前も書いといてほしいんだけど』
『盗難事件の解決なら、俺に持ち込むより職員室にでも駆け込んだほうがいいんじゃないか』
『別に大事にするようなものは無くなってないし。それに…』
彼女はにわかに口ごもった。
『それに?』
『職員室に持ち込むには、ちょっと体が良くないものが持ち去られちゃって』
『何?大麻とか?』
多くの一般的で健全な高校生は、生徒会が普段何やっているのかなんて知る由もない。
神聖かつ厳粛なる生徒会室でいけない草を育てていたとしても、ほとんどの生徒は生徒会室に出入りすることがないから気づかない。
隠したいものは、一番意外なところにポンと置いとくのが昔からの定石なのだ。
『白い粉的なやつはちょっと体が良くないじゃ済まないんだよなあ…』
『じゃあなんなんだ?』
『お菓子。私が持ち込んだ百二十円のスナック菓子』
『はあ?小学生かよ』
今時、高校生が学校にお菓子持ち込むぐらい別に問題にもならない気がするが。うちはそんなに校則にうるさい学校でもないし。ただし、ハッピーターンなら話は別だが。あれは白い粉的な部分がヤバい。
『常識的に考えてさあ』
彼女は長く艶やかな黒髪の毛先を少し弄びながら、言った。
『生徒会長が自分のお菓子盗まれたからって、わざわざ職員室にタレコミに行く…っていうのははどうなんだってこと』
『なるほど』
言い忘れていたが、彼女は弊学の現役生徒会長なのである。えらい。
そしてその会長が持ちかけてきた問題は、なかなか難しく微妙だ。
もしも肯定的に評価するとすれば、校内で起こるありとあらゆる事件を見逃さず、たった一つのお菓子にまつわるくだらない…もとい“微細な”事件ですら放置しない、責任感旺盛な生徒会長だ…と感じる。
そして否定的に評価すれば、というか普通に考えれば、端的にアホだ。
『お菓子以外で無くなった物も、別にたいしたものはないし。教員側に伝える、ましてや警察に…なんていうのは完全にバカげてる』
『そんなんだったら、生徒会の内部でいいように処理すりゃいい』
『でも私は、盗まれているのが“たいしたことないものだけ”っていうのが問題だと思うの』
『何言ってるんだ?』
それはつまり、たいしたものが盗まれていれば逆に問題にならないということだろうか。
例えばこの学校の命運を握る秘密文書が警備厳重な金庫から盗まれていたなら特に問題なし、解散!廃校!ということだろうか。
この学校がなくなれば、この学校が抱える問題も同時に消えて無くなるのである…などとくだらない揚げ足を頭の中で取っていると、会長はこう言い足した。
『この一週間生徒会室で変なことが起き続けてる、って言ったでしょ』
『ああ。消しゴムとかマグカップとかが盗まれて、それと引き換えにサンタのバラバラの五体が残されるという残忍な犯行が繰り返されてる』
『一連の事件は全部、生徒会の部屋で発生している。そして一つの例外もなく、なくなっても私たち役員が困らない物ばかりが消える』
『ずいぶん生徒会への愛と思いやりに溢れた泥棒だな。愛校心そのものだ。生徒会役員が失っても迷惑を被らない物を、きちんと把握してるとは』
『そこが問題なの』
気づけば外の曇り空は最後の明るみを失って、闇の中に沈み込もうとしていた。
会長はカウンターに身を乗り出し、こちらに顔を近づける。
『この事件、生徒会の内部を良く知っている者…はっきり言って、生徒会役員の誰かが犯人としか思えない。だから部外のあなたに解決してほしいの』
『もう店じまいの時間だ』
時計は5時を指している。俺はカウンターに出ている帳簿を引き出しに、ペンケースは足元のバッグにしまう。ヒーターのレバーを『切』に合わせ、コンセントを抜く。軋むパイプ椅子から立ち上がりつつ、カウンターの引き出しから鍵束を取り出した。
『どうせ帰ってもやることないんでしょ?』
カウンターを出て窓の施錠に向かう俺の背中に、言葉の鏃が突き刺さる。
『俺は早く帰らなければならない』
会長の方を見ることなく、俺は図書委員としての責務に専念する。東側の窓を一つ一つ点検し、カーテンをかける。
『いい子にしていないとプレゼントもらえないからな』
次は西側の窓だ。足早に本棚の林を突き抜ける。
『ねえ、もしかして…未だにクリスマスプレゼントもらってるの?』
振り返ることなく俺は答える。
『ウチにはクリスマスプレゼントという概念もなければ、誕生日プレゼントという概念もない。あるのはただひたすらに12月25日に渡される尊き親からの“プレゼント”という名の日本国銀行券、それだけだ』
『そう…』
西側の窓の鍵を確かめ、施錠していく。
窓の外に広がるグラウンドには運動部の姿もなく、校庭に面した道路の街灯に照らされて、プラタナスの枯れ並木は寒々と立っている。残光を失った辺り一帯に、夜闇がそろそろ横たわろうとしているのだった。
その光景の上からカーテンを走らせ、外界をシャットアウトする。振り返って図書カウンターの方を見る。
壁に掛けられた時計は先ほどと大して変わらず、5時1分か2分あたりを指している。ちょっと聞いてみるか。
『30分くらいかな』
『え?』
『最終下校時間だよ。冬って何時までだっけ?』
『最終下校時“刻”ね。冬は18時まで、夏は19時まで』
『思ったより遅いんだな』
図書当番は一年通して17時終わりだから全く意識したことがなかった。
まあ、それなら好都合だ。
『職員室に先に鍵返してから行くか、生徒会室』
『早く帰っていい子しないといけないんじゃないの?』
は?ほんまに帰ったろか?とりあえず勢いよくカウンターへ戻る。
『最終下校時間を守れば非のつけどころのない良い子だろ。それに』
窓の鍵束はポケットに突っ込んで、カウンターの引き出しの鍵をかける。
『なかなか小粋じゃないか、クリスマスイブにバラバラのサンタとは』
生徒会の人間の持ち物だの備品だの、宇宙の果てに消え去ったとしたってそんなん知るかって感じだが。後に必ず意味深なメッセージが残されているとなると、妙な関心が湧き上がってくる。
生徒会長はすでに図書室の出入り口に立っていた。
『…いい子ってなんなんだろうね』
『俺を見てたらわからないか?』
『自らが反面教師であることを自覚してるんだ』
クソ以下の会話を繰り広げながら、俺は室内の照明を消し、会長とともに図書室を出る。鈍色に光る鍵を回すと、図書室は完全に施錠された。
* * *
生徒会室は第一特別教室棟の一階の、廊下の突き当たりにある。
図書室は同じ第一特別教室棟の四階にあるが、直行はできない。特別教室棟に隣接する一般教室棟にある職員室に鍵を返す必要があるのだ。
人通りのない廊下を歩いて辿り着いた職員室の明かりは、煌々と明るく室内を照らし出している。
ご苦労なことに、大半の生徒が帰った後も弊学の教師たちは忙しいようだ。
俺が図書室の鍵を返却している間に、会長は若い女の家庭科教師の方に行って、何やら会話していた。時折笑い声をあげながら会話を楽しまれているところ恐縮だが、俺は用事を済ませたい。会長の後ろに立って声をかける。
『帰っていいか?』
『あ〜…じゃあ先生、また後で来るので』
そう会釈する会長の手には鍵束があった。
『その鍵は?』
『ああ、これ?…』
会長はすこし曖昧な微笑を浮かべて答えた。
『これがないと、悲劇的結末に至ることになるから』
『は?どゆこと?』
『君のことだよ』
『何言ってんだか全然わからないんですけど…』
『そのうちわかるよ』
俺たちは一階に降り、第一特別教室棟に向かう。真っ暗かつ定型的な授業教室の繰り返しを横目に見つつ、廊下の突き当たりに来ると渡り廊下があり、その先には第一特別教室棟がある。
その一階には木工室、家庭科調理室、生徒会予備室、生徒会室が並んでいる。
そして、生徒会室は廊下の一番奥にある。まっすぐ生徒会室へ向かう…のではなく、会長は調理室の後方ドアの前で立ち止まった。
ベージュのPコートのポケットから鍵束を取り出すと、ドアに差し込んで開錠し、当然のように中に入っていく。
見ている間に会長は室内照明をつけ、教室後方の小黒板の脇に鎮座する大型の冷蔵庫を開け、何か探している。
何やってんだ?と思いつつ、ドアから教室を見渡してみる。
考えてみれば、調理室に来るのは今年の春の調理実習以来の気がする。
大して教室の内装に注意を向けたことなんてなかったが、改めて見てみると面積はかなり広い。ぱっと見の印象、普通の教室より奥に広い感じがする。特別教室特有の広さとでも言えばいいだろうか。
と言ってもデカい調理台が12台ほど並んでいるのだから、教室自体がでかくなければならないのも当たり前だが。
ぼんやり見ていると、調理台の内、真ん中の一台に目が行った。
正確に言えば調理台そのものではなく、その直上の天井に、だ。
その一角だけ最近天井が張り替えられたらしく、周りよりも白さが浮き立っている。
『おまたせ〜』
と言って戻ってきた会長の手には、ラップのかかった羊羹の皿があった。
『食べんのか?』
『それ以外にどんな使い道があるの』
『それ取るためにわざわざ家庭科室来たのか?』
『そうだが?』
『そうだが?じゃねえよ』
『仕方ないんだよ、悲劇的結末を回避するにはこうするしかないんだよ!』
会長は力強くボゴッと地面を蹴って顔を上げ、羊羹片手に俺と向き合った。荒ぶるなよ、馬か?
…ボゴッ?
『なんか今、変な音しなかったか?』
『え?』
会長の足元を見ると、あらびっくり。
会長が立っているのは、ドアのすぐそばの床だ。その表面に、丸い赤地に白文字で「消火器」と書かれたマークがあしらわれていた。
よく見ると、そのマークの脇に銀色の取っ手が付いている。
『地下収納か、これ』
『ああ、これね〜…』
会長はもう一度ボゴッと床を蹴った。
『ここだけ中が空洞だから音が違うんだな』
『ウチの学校、消火設備過剰だからなあ…』
会長は照明を消し、調理室から出てきた。
『そうなのか?あんまり消火器とか注意してみたことなかったけど』
『だってこの地下収納の消火器、ここ以外でも木工室とか理科室とか…特別棟の教室だったらどこもあるよ』
『へえ、だとすると生徒会室にもあるのか?』
『生徒会室?ないなあ』
『う〜ん、仲間外れかな?』
たった今、特別棟の教室だったらどこにでもあるって言ったのに…。
しかし、特別棟に生徒会室っていうのがそもそも浮いてる気もするが。
などとモニャモニャ思っていると、会長はおもむろに俺の後ろを指差した。
『あそこ、廊下側の壁見て。生徒会室の手前側のドアの近くの』
言われて振り返った背後、廊下側の壁の窓の下に、消火器のボックスが据え付けられている。
『あ!あれってあれじゃん、ボックスのふたを開けるとメッチャデカい警報音が出るやつだ』
『えっ?』
なにそれ?どゆこと?と、露骨にいぶかしがりながら会長は俺を見た。
『え、知らない?街中に消火器の入った赤い箱が時々あるだろ』
『消火器ボックスのこと?』
『それ。あれってさ、開けるとけたたましく警報音がなるんだよ』
『ちょっと待って。当たり前みたいに言ってるけど、なんで街中の消火器ボックス開けたことがあるの?火事に出くわしたの?』
『いや。そこに消火器ボックスがあるから開けた』
『登山家みたいなこと言ってんじゃないよ』
いやいや、かつて元気な小学生だったことがあれば全員アレを開けたことあるよね?え?ない?ないって言った奴最終学歴幼稚園か?
『いずれにせよ』
会長はもう一度、廊下の壁の消火ボックスを指差した。
『生徒会室の近くにもちゃんと消火器はあるってわけ』
『消防法とかでそういうのしっかりしてないとダメなんだろうな。知らんけど』
『それはまあそうなんだけど』
会長は調理室の鍵を閉めながら言った。
『うちの学校、何かと火事が多かったみたいだから』
『何かと火事が多いって何?江戸か?』
『去年の冬に調理室でボヤがあったの、覚えてない?』
『ああ、言われてみれば』
確か去年の12月だか、家庭科調理室ではボヤ騒ぎが起きた。
調理実習中にどっかのバカが熱した天ぷら油に水をぶちまけて天井を焦がす火柱を召喚し、調理台が一つ焼けたらしい。
幸い怪我人は出なかったそうだが、三学期に予定されていた調理実習が中止され、四月に延期されたのを覚えている。
そう考えてみると、一箇所だけやたら白かった調理室の天井のこともうなずける。
まさにあそこの調理台で火柱が爆誕したのだ。
三学期の調理実習が四月に持ち越されたことから考えれば、その修理のための工事は春休みごろに行われたのだろう。
『まあ去年のはボヤだったけど、ウチの学校って校舎が放火で全焼したことがあったみたい』
『はあ?!』
全焼とはなかなか恐れ入る。江戸の華って感じしてきたな(?)。
『校舎が木造だったくらい大昔のことらしいけど。それで、この辺の学校ではいち早く鉄筋コンクリートの校舎になって、消火設備を充実させるようになったらしいんだよね』
『さすが生徒会長だな。なんでも知っていらっしゃる』
『もっとも、去年のボヤ騒ぎの時のことはそんなに詳しくは知らないんだけど』
『そうなのか?意外だな。生徒会室のお隣のことなのに』
『私、去年は生徒会いなかったから』
そう言うと、会長はすたすたと生徒会室へ歩き出した…羊羹を片手に。
* * *
『ああ会長閣下、戻ってきたの。ところで後ろに連れてるの何?背後霊?』
生徒会室入室一番、俺は生徒会副会長閣下から素敵な歓迎の言葉を賜った。
『残念ながら背後霊ではなく探偵役なんだよね〜、副会長閣下』
『除霊してくれればこのまま帰るが?』
『自ら霊って認めてるんだけど』
『というか俺ここ入っていいの?』
そこで会長答えて曰く
『いいにきまってんじゃん』
同時に副会長答えて曰く
『だめにきまってんじゃん』
どっちだよ。会長と副会長がFACE to FACEなのに生徒会の意思疎通崩壊してんじゃねえか。事前にアポとコンセンサス取っとけよ、社会人の基本だぞ。全員社会人じゃないけど。
副会長閣下に拒否られたからではないが、生徒会室に入るのに二の足を踏んだのには理由がある。
『ていうか、どう見てもクリパ中だよな、これ』
『そうだよ。クリスマスは明日だけど、明日は終業式終わったら生徒会室寄らずにみんなそのまま帰るだけだから、今日やってる。やることも別にないしね』
生徒会室内には、幾つかの机を給食の時間の時の要領で並べた作業台的なものがあり、その上に切り分けられたケーキの皿やティーカップやらクラッカーやらが並んでいる。
そして、俺からいちばん近い席に副会長が陣取り、いちばん遠い机の方に、俺の知らない一年生が三人、そぞろに身を寄せ合い、我々の不毛なやり取りを遠巻きに見つめていた。
あれは、生徒会の一年役員たちだろう。
そして、生徒会室にいるのは、俺を除けば全員女だ。
とどのつまり、女性しかいないクリスマスパーティー会場に意味不明な男が乱入した感しかないのだ。
いや、事実乱入した。
この空間にいると、自分が存在すること自体が申し訳なくなってくる。
もういいから除霊してくれ。
『ま、事件解決できるっていうんだったら別にいいけど。いいよね?』
副会長閣下のお言葉を聞くと、はあ、まあ、そうですねと、哀れな一年生たちはへどもど答えている。
なんなら俺の存在自体が事件まである。あれ?俺を除霊したら事件解決じゃね?
『解決するっていうか、何が起きたか考えてみるだけだし、別に邪魔するつもりはないよ』
『というか時間が割と押してるし、ちゃっちゃと探偵君に手がかりを与えてあげてよ、副会長』
壁にかかっている時計を見ると、5時20分を過ぎたあたりだ。
油断したら一瞬で6時だ。
生徒会長は例の作業台に行って、空いているスペースに羊羹を置いた。
俺は会長に続いておそるおそる作業台のそばに立った。
一年たちは相変わらずひとかたまりになってこちらを見守っている。俺ってそんなに怖いんか?辛いんだが?いきなり号泣していい?ていうかいきなり知らん男が号泣しだすのめっちゃ怖いな?
『まあ、ここにかけて』
会長は、副会長の目の前、ちょうど羊羹が置かれた席を俺に勧めた。
俺が万斛の涙を飲んでその席に着くと、副会長はショートケーキを一口食べ、ほのかに湯気を立てるアールグレイを無造作に飲み、早速話を切り出した。
『で、会長から話はどこまで聞いてるの?』
『ここ一週間くらい連日、消しゴムやマグカップなどが、おそらく同一犯らしい何者かに持ち去られ、その犯行現場にはサンタの木人形のパーツが意味ありげに一つずつ残されるという非常に陰惨な事件だとは』
『大まかには聞いたわけね。いつどこで何が盗まれたかは聞いてる?』
『それは詳しく聞いてない。別に盗まれても困らないようなものしか盗まれてないとしか』
『いや、超困りました!』
突如、身を寄せ合っていた一年の一人が身を乗り出し、口火を切った。
お前…喋れたんか…いや、さっき地味に喋ってたわ。はあ、まあ、そうですねつってたわなお前らな。
『私、歯磨き粉盗まれたんですよ』
名もなき一年はポニテをブンブン振り回しながら自分の被害を訴えるが、ちょっと待て。
『は、歯磨き粉ォ?』
コイツ学校に歯磨き粉持ってきてんのか?最近の高校生よくわからん…。
と思っていたら、副会長がフォローを入れてきた。
『念のため言っとくけど、歯磨き粉っていうのは人間が歯を磨く際に使われる…』
『そこじゃねえから!なんで学校に歯磨き粉持ってきてんだよって話』
『いや、歯を磨くからですけど…』
『どうしてなん!いつ磨くん!』
おもわず謎方言を放ってしまったところに、再び副会長が割って入った。
『いや、お昼食べたら普通磨くでしょ。男子がどうかは知らんけど』
『あ、はい。そういう文化ね…』
言われてしまえば、まあそうなのですねとしか言いようがない。
『まあこの人文明に触れたことないからね、しょうがないよ』
文明に触れたことない人間に事件解決求める団体なんなん…生徒会っていうんですけど…。
『歯磨き粉はどんな状況で…いつ、どこから、どんな風に盗まれたのか教えて欲しい』
『え〜っと…おととい?四日前?いや、というか月曜日の昼休みに歯を磨いた後、歯ブラシケースをカバンに入れてから生徒会室に来て、そのまま部屋にカバン置いといたら、目を離したすきに盗まれたみたいで。カバンをふと見たら、サンタの人形の腕が置いてあって…』
『なるほどね』
月曜は三日前だ。おとといでも四日前でもない。盗まれたのいつだよ。
…いや、めっちゃ日付あやふやなのはとりあえずいいとしよう。めんどい。
『サンタの腕があったから、何か盗まれたと思ってカバンの中を確かめてみたら、案の定歯磨き粉が入っていなかった、と』
『いえ、歯ブラシケースに歯磨き粉が入ってたんです!』
『は???』
『しかもそれ塩歯磨き粉だったんですよ!!!』
『は????????』
『今口内炎できちゃってるから染みちゃって困るんですよ!!!!!』
『はあ?????!?!???!?!?!??!?!??!?!?』
『OK、わかった、リコ、あとは私が説明する』
『あ、はい…』
またまた副会長が割って入る。ナイスアシスト。できればもっと早く割って入ってくれやあ…。
リコと呼ばれたポニテの暴れ馬は一年の塊の方に戻った。鎮まりたまえ、鎮まりたまえ…
副会長が足元のボストンバッグをいじりつつ、同時にアールグレイを器用な手さばきで飲んでいる。
視線の行き先に困り、俺は生徒会室内を見回してみた。
しかし、別に面白みも無い普通の教室だ。
そりゃもちろん、俺が普段授業を受ける教室と広さこそ同じだが、そこにある物は同じでは無い。
教室後方の壁には、背の高い戸棚が大量のファイルを飲み込んで並び立っている。その戸棚の脇には、お隣の生徒会予備室に連なるドアがある。
プリントらしきものが詰め込まれた段ボールや、書類や文具を満載した机がそこかしこにある。
床がリノリウム張りなのは調理室と同じだが、調理室の床が薄褐色だったのに対して生徒会室は薄緑色だ。
床といえば、と思って教室後方のドアあたりの床を見てみる。
そのあたりには、例の赤い消火器のマークは見当たらなかった。会長が言った通り、本当に生徒会室内には消火器を置いていないらしい。
全体としてみれば特筆すべきことも無い、いかにも生徒会室って感じの生徒会室だ。
まったく面白く無い。
くだらない観察をしていると、会長がきゅうすと湯飲みを持ってきた。
『お茶でございます』
『あ、お気遣いなく…』
『きゅうすに入ってるからいい感じに入れてね、てめえで』
『あ、はい』
自分で湯飲みにお茶を注ぎながら、俺は考えた。
羊羹とお茶。なんとも落ち着く素晴らしい組み合わせだ。
たとえ目の前の机にホールケーキが入っていたと思われる箱の残骸や、切り分けられたケーキがのっていたと思われる紙皿の残骸や空になったカップがあったとしても、いやむしろそんな荒涼とした光景の卓上だからこそ、素晴らしく和の心、侘び寂びを体現している。
クリスマスケーキ、俺のような部外者の分はないんやな…。
『会長』
俺は突如一つの推測にたどり着いた。
『なに?』
『さっきの羊羹って…もしかして俺用のお茶請け?』
『今更なに。そうだが?』
『そうだがじゃあないんだょ…』
会長は初めから、俺の分のクリスマスケーキは残っていないと認識していた。だからわざわざ職員室から鍵を借りて調理室の冷蔵庫の羊羹を俺のために…
『いや、なんで調理室の冷蔵庫に羊羹が普通に入ってるんだ?』
『自分で食べる用で入れたんだが?先生に許可をもらって入れてたんだが?だけどクリスマスイブに一人だけケーキも何もなしじゃお前が佗しすぎると思って差し上げたんだが?』
『あ、わざわざすみません、いただきます…』
『どうぞ〜☆』
もしかして会長が言っていた“悲劇的結末”の回避ってこれのことなのか。え?これのことなのか?
会長、お気持ちはありがたいけどこれ…多分悲劇回避できてねえよ…せめてケーキの残り香を見せつけないとかそういう『あ!あったあった』
センチメンタルに傷つく俺を無視して、副会長は机の上に、ボストンバッグから取り出したピンク色のファンシーなルーズリーフを叩きつけた。
『これに、今日までに盗まれたモノについての情報をまとめたんだよね』
『最初に出せや!そういうの!』
『出そうと思ったんだけど、一年が暴走したからな…』
そう言いながら、ルーズリーフを俺の方に差し出した。
俺は受け取ったルーズリーフに目を通す。
それは以下のような内容だった。
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◆盗まれたものたちについてのもろもろ
17日木曜日 消しゴム ペンケースにサンタの右腕
生徒会一年のもの。17日の夕方ごろに発覚。生徒会室に置いていたペンケースに二個あるうちの一個が盗まれた。
18日金曜日 マグカップ サンタの胴体
元は生徒会の一年の会計のもの。最近は予備室でペン立てがわりに使われていた。18日の昼休みに副会長と一年が発見。
19日、20日の土日は犯行がなかった模様。
21日月曜日 歯磨き粉 サンタの左腕
一年のもの。生徒会室に置いていた歯ブラシケースの中に入っていた。昼休みに使用してケースにしまった後、夕方に無くなっているのが発覚。ケースには塩の歯磨き粉(未開封の新品)が入っていた。
22日火曜日 赤い電動鉛筆削り サンタの下半身
生徒会の備品と化しているが、副会長が去年持ち込んだ。予備室には電動鉛筆削りはもう一台ある。そもそも鉛筆削りはほぼ誰も使わないが。
・この日は生徒会室と生徒会予備室に盗品が隠されていないか、家探しを行う。結構徹底的にやってみたが、盗まれたものは見つからなかった。生徒会室外に持ち去られた?
23日水曜日 お菓子 サンタの帽子 生徒会室に置いてあった会長のスナック菓子。この日は祝日だったが、何者かが生徒会室に侵入したと思われる(お菓子は会長が22日に購入して持ち込んできたもの)。24日の朝に会長と会計が発見。
24日木曜日 今のところ、なくなったものは無いと思われる。残る人形のパーツはサンタの首だけと思われる。今日にも犯行が行われるかも?
・ただし、会長のお菓子が持ち去られたのは24日の朝かもしれない。会長と会計が来るよりも前に誰かが侵入して持ち去った、というのもありえる。
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『どう?何かわかった?』
俺が一通りルーズリーフに目を通したのを見計らって、副会長が問いかけてきた。
『いくつかわかったことがある…けど、それを言う前に聞きたいことが一つある』
座り直しながら副会長がご返事遊ばす。
『へえ?何?』
『生徒会室と生徒会予備室って、誰もいない時は鍵かかってるのか?』
『土日祝日は基本かかってるし、平日でも誰もいない時はかかってる』
『だとすると、たとえばこのメモの23日…つまり祝日、生徒会室と予備室は鍵がかかっていて、誰も侵入できない密室だったってことになるよな?』
『うん。でも完全な密室ではないよ』
『…どういう意味だ?』
『予備室のドアは、鍵がかかっててもちょっとした裏ワザで開けることができる。そしてその開け方は、役員だったらみんな知ってる究極の部外秘、一子相伝のワザってわけ』
副会長の言葉に、会長が付け加える。
『そして生徒会室と予備室をつなぐドアは鍵が無いから、予備室にさえ入れれば生徒会室も入り放題なんだよね』
『ちょっとしてない裏ワザだな』
ほぼチートというか、重大バグというか。
俺もそのワザを習得すれば生徒会室出入りし放題じゃん。別に全然出入りしたくないけど、いくらなんでも大盤振る舞いすぎる欠陥だ。会長は呆れたように笑っている。
『つまり少なくとも生徒会役員だったら、いつでも自由自在に生徒会室と予備室に入れたってことか』
俺の言葉を引き取ったのは副会長だった。
『そう。だから犯人は役員のうちの誰かという可能性が高い。というか、ほぼ確実に』
『”犯人はこの中にいる”、か』
一生に一度は言ってみたい台詞ではあったが、実際に言ってみると感慨なんて無いものだ。
いや、むしろ居心地の悪いセリフだ。
事件が解けたなら、面前にいる誰かを犯人として名指さなければならない、ということでしかないのだから。
『それじゃ、気づいたことを教えて?』
副会長に促される。気づいたこと、ね。
まず最初に、このルーズリーフを見た瞬間に気づいたこと。
これだけは言っておかなければならない。
俺は目の前のルーズリーフを指差す。
『まずひとつ。これ俺のルーズリーフだろ』
『はあ〜?何のことだか…』
しらばっくれやがる。
『これは俺がピュー□ランドで買ってきたマイメ□ディの限定ルーズリーフだ…お前は以前、俺にルーズリーフ一枚貸してっつってこの限定ルーズリーフを束ごと借りて、授業後に返したな』
『どうだっけな〜』
『どうだっけな〜じゃねえよ、お前その時百枚入りのルーズリーフから五十枚くらい抜き取っただろうが!!!』
『百枚から五十枚抜き取ったら普通即気づくでしょ!その時に言えや!!!突っ込み来ないから返すに返せなかったでしょうが!!!!』
『その時はマイメ□ディの尊さが伝わったんだったら別にいいかなと思ったんだよ!!!!!!』
鋭い二つの視線と舌鋒が、作業台の上の皿の上の羊羹の上を交錯し、激突しあう。
『ちょっといい?』
ここで会長が割って入る。何やねんこちとら盛り上がっとるんやぞ?!
『時間見て』
時計を見ると5時30分だ。やっべ、巻いて行くぞ!6時半からアニマ□クスでおねがいマイメ□ディの再放送だ!
『もうひとつわかったことがあるんだ』
俺の言葉に、会長は真面目な顔で問いかける。
『マイメ□ディ以外で?』
『マイメ□ディ以外で』
『話してみて』
『先に言っておけば、これは現状では推測でしかないが…盗みは全て生徒会室とその予備室、つまり生徒会の領域のなかで完結している。もし犯人がよほど一貫性の無い人間でなければ、生徒会室か予備室のどこかに盗品を隠している可能性が高い』
『犯人が役員の中の誰かなら、それはそうかもね』
副会長がそう言うと、会長は首を傾げた。
『だからといって生徒会室か予備室に盗まれたものが絶対に隠されているとは、確証できないんじゃない?』
副会長が、どことなく面倒くさそうな表情を浮かべる。わかる。俺もめんどくさい。
『22日には結構大掛かりに生徒会室と隣の生徒会予備室を探した。床板を引っぺがすとか壁紙を引っぺがすとかはしてないけど、戸棚や引き出しは全部あらためて見た。大量に積まれてるダンボールとかも、中を確認してみた。何かを隠せそうな場所はあらかた見たつもり。でも、盗まれたものは何一つ見つからなかった。なのに、無くなったものは生徒会室か予備室に隠されてるというの?それとも、私たちが隠し場所を見落としただけで、あなたにはどこに隠したのかわかったってこと?』
マイメ□メモを見た感じ、犯人は人目につかない瞬間を縫ってモノを盗んでいるようだ。
大掛かりな仕掛けで獲物を巧妙に隠すなんて芸当は、時間的にも場所的にも難しいだろう。
『盗品の隠し場所は、正直何とも言えない。そもそも俺まだ予備室の中すら見せてもらってないし』
『そういうなら見てみる?予備室』
副会長からの親切な申し出。だがここは一旦パスだ。
『それはちょっと待ってくれ』
『なんでさ。すぐ隣だよ?』
『最初に言っただろ、わかったことはいくつかあるって。会長、首無しサンタを出してくれ。カバンに入ってるだろ?』
『いいけど』
会長は入り口近くの机に置いたバッグから首の無いサンタの人形を取り出し、作業台に持ってくる。
そしてサンタの無残な首元を隠すように赤い帽子を乗せた。
『ありがとう』
『いえいえ。それで、これがどうかしたの?』
『今回の事件では、盗まれたものと引き換えに、必ずこのサンタクロース人形のパーツが残されていたんだよな』
『そうなんですよ、ついさっきまでなかったのに、ふと気づいたら置いてあるんですよ!』
暴れポニテが元気に答えてくれる。
そしてそれを受けたのは意外な人物だった。
ここまでしゃべってなかった一年の片割れだ。
『なんていうか…手並みの鮮やかさがまた内部の人間っぽい感じ』
一年の片割れたるシャギーショートボブの軽やかな毛先をいじりながらそう言うと、それをとなりにいるパッツン黒髪ロングの一年が受けた。
『なんかプロって感じするよね〜、なにかの』
せっかくおしゃべりしてくれたのに、話がたわいなさすぎてなんとも言えない。き□らの4コマでももうちょいたわいあるぞ。
『まず、このサンタ人形が、犯人からのなんらかのメッセージであることはわかるよな?』
『そりゃあねえ』
当然わかってますよ感を出す副会長に暴れ馬が続く。
『同一人物が犯人やってますアピールですよね?あと物盗んでます!気づいて!!!的なアピール』
『そうでもあるが、それだけじゃない』
『え〜?じゃあなんですか、もったいぶらずに教えてくださいよマイメ□先輩』
俺に対して何か不本意な呼称が発せられた気がするが、それは気のせいだ。
馬は人語を喋らない。
『…そもそもだけど、なんでわざわざ人形バラバラにしてんだろうね』
副会長がなかなかいいところを突いてくる。
それなんだよね。
『そう。物を盗んでいること、それからその盗みが同一人物の犯行であることを役員にアピールするだけなら、犯行現場に同じ木人形を置いておいたっていいんだ。いや、むしろそのほうがいい。腕とか下半身とかの小さいパーツに体をバラして置いとくより、ポンと人形を置いといたほうが見つかりやすいだろ』
すると、パッツンの一年がああ、と素っ頓狂な声を出す。
『確かにそうだった。ほら、最初に私の消しゴムなくなった時もさ』
黒髪パッツンがお隣のショートボブ子に背線を投げかけると、なにやらお二人の間で会話が始まった。部外者は黙って拝聴させていただこう。
『そういや“ペンケースになんか変なちっこい腕みたいなの入ってる”って言ってた』
『そうそう。なんでこんなもの入ってんのって感じで最初は完全に意味不だったけど』
『生徒会室とか予備室とか、あっちこっちから出てきたもんね、サンタの肉片』
『肉片つなぎ合せたら徐々にサンタっぽくなっていくっていうね』
表現が恐ろしすぎる。サンタの肉片ってなに。生徒会サンタ狩りでもしてんのか?裏の顔はサンタスレイヤー=サンなのか? 多分年一しかサン殺する機会ないだけど本当にそれでいいのか?
『ともあれ、確かに一番最初の盗みの時は、後に残されてたのがサンタの右腕だけだったからね。他の体のパーツと組み合わさっていない右腕単体だけ見ても、そもそもそれがなんなのかわからなかった』
知らん一年女子の会話に割り込みづらくてもじもじしていたところ、生徒会長が綺麗にまとめてくれる。たすかる。。。閑話休題。。。
『犯人の目的が自分一人で泥棒してますアピールだったら、腕だの帽子だの置いとくより、人形をそのまま一個犯行現場に残しておいたほうがア!なんかサンタの人形ある!ってなってわかりやすくていい。しかし、犯人はそうしなかった。なぜか?』
『人形がバラバラであるということには何らかの意味がある、ってことか』
会長のご賢察の通り。人形はバラバラでなければならなかったのだ。
『いや、全然わけわかんないんですけど。ちゃんと説明してください、マイメ□先輩』
暴れポニテのいななきをスルーしつつ、目の前の作業台に置かれた首なしサンタを手に取る。
『説明なんて無い。この人形を見たまんまだ』
『見たまんまって言っても。マイメ□パイセンの手の上にあるだけじゃないですか』
地味にちょっと小慣れた呼び方にしてきてんじゃないよ。
『そういうことじゃない。もしもこの人形に首がついたらどうなる?』
『どうって、そんなの…首ありサンタになる…とか?』
その刹那、副会長が口を開いた。
『完成するよね。最後に残った首が揃えば、全部のパーツが揃うわけだから』
『お、おう。その通り』
答えにたどり着くまで無駄に引っ張る推理小説的な展開になりそうだったが、見事にブロックされた。さすが副会長閣下、いい仕事してる。
『これも推測だが、おそらく犯人のメッセージは人形の完成がすなわち事件の完成である、ということなんじゃないか?犯行とサンタの肉片の発見は、これまで必ずワンセットだった。そこから考えると犯人は、最後の犯行が行われた後でサンタ人形の首が見つかるように仕向けていると考えるのが自然だ。そして首を取り戻したサンタが首あり完全体になる時、この一連の事件は終わりを迎えるはずだ』
『終わる…?それってつまりどういうことですか』
『いや、そこまではまだわかんね。いままでは見つかっていたサンタの肉片が、ここへきて最後の首だけが見つけられないというのもひっかかる』
暴れポニテがええっ…って感じの表情になる。いや、ええっ…って感じの表情されても実際これ以上わからんし。
『今の所、サンタの人形から読み取れるのはこのくらいだろう。人形のメッセージとは別に、もう一つ分かることがある』
『分かること、というと?』
『これはさっきも言ったことだが、犯人は必ず"盗みは全て生徒会室とその予備室で完結"させている。これは見方を変えれば、犯人は一定の『ルール』に沿って動いている、とも考えられる。会長、最近この学校の中で、生徒会以外の場で謎の物品の紛失って何かあったか?」
「ないね。私の知る限りでは」
『他に、誰かそんな噂を聞いたことがあるか?俺は無い』
副会長はかぶりを振り、一年たちは互いに顔を見合わせる。
やはり、誰もそんな話も噂も聞いていない。
『そうなれば、やはりこの事件は生徒会にまつわる空間だけで完結している可能性が高い。ましてや、犯人はこの中にいる。そう考えた場合、この『ルール』について一つの推論が成り立つ』
『推論?どんな?』
副会長は興味津々のようだ。
『犯人がそんな『ルール』を律儀に守っている理由だ。犯人は自分の犯行が、親愛なる生徒会役員の面々に必ず見つかるようにご配慮なさっているんだ。モノを盗んだら、できるだけそれが発覚しないようにしたいというのが泥棒の一般的心理だろ。しかし、今回の犯人の行動は正反対だ。犯行現場にサンタの肉片をわざわざ残すことで、自分から犯行を生徒会役員共の面前に晒そうとしている。優しさが身に染みるな』
『財布とかスマホとか、ガチでやばい感じのものは盗まないあたりにも犯人の意図を感じるんだよね。危害を与えようというつもりではないというか』
会長の言葉に副会長はうんうんと頷き、ショートボブとパッツンも確かに〜そうだよね〜とか言っている。暴れポニテだけはなんか不満げだが。
『そしてさらにもうひとつ。ルーズリーフのここを見てくれ』
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23日水曜日 お菓子 サンタの帽子 生徒会室に置いてあった会長のスナック菓子。この日は祝日だったが、何者かが生徒会室に侵入したと思われる(お菓子は会長が22日に購入して持ち込んできたもの)。24日の朝に会長と会計が発見。
24日木曜日 今のところ、なくなったものは無いと思われる。残る人形のパーツはサンタの首だけと思われる。今日にも犯行が行われるかも?
・ただし、会長のお菓子が持ち去られたのは24日の朝かもしれない。会長と会計が来るよりも前に誰かが侵入して持ち去った、というのもありえる。
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『ああ、そこね。なんか微妙な書き方になっちゃったんだよなあ』
ルーズリーフを覗き込んだ副会長は、意外でもなさそうなご様子だ。
机の向こうでは、一年二人が、不思議そうな顔をして顔を見合わせている。
会長はいつのまにか、無言で音もなく俺の後ろに立っていた。…いや怖えよ!
しかし、副会長の傍にいる暴れ馬は疑問顔だ。
『23日と24日のところがどうしたんですか、マイメ□先輩』
『24日木曜日の最後、“会長のお菓子が持ち去られたのは24日の朝かもしれない”って但し書きに注目してほしい。このメモでは、会長のお菓子の盗みは23日か、24日の朝に発生したかの2パターンが想定されてるな』
『そうそう、お菓子盗まれたのがいつだったか、結局わかってないんですよね』
『いいや、わかる。23日だ』
副会長が椅子に深く座り込む。
『急に断言したね』
『ここまでくれば簡単な話だろ?犯人は何らかの理由から、役員たちに犯行とサンタの肉片を発見してほしい。そして、明日は終業式だ』
会長は俺の椅子の背もたれに手をかけた。
『明日最後の犯行を行っても、誰も発見してくれないかもしれないということでしょ。犯人は生徒会役員だから、明日の終業式後に生徒会室に誰も役員が来ないことを知っている』
『だから、優しい犯人さんとしては、事件を役員たちに見つけてもらうためには今日を最後の犯行の日にするしかない。生徒会室か予備室のどこかに、すでにサンタの首はあるはずだ』
俺は席から立ち上がる。
完全な夜が窓の外を満たしている。
黒板の上の時計を振り仰ぐと、5時45分を指している。
『しかし、時間がだいぶアレだな』
そろそろ定時だ。仕事を切り上げてお家に帰らないと悪い子になってしまう。
そしてなによりおねがいマイメ□ディーの放送が始まってしまう。
『多少は鍵返す時間遅れたって大丈夫だよ』
突然副会長が放った悪の一言が、俺の意識を遠のかせる。
『まあ、忙しい時は学校出るの6時半くらいになったりするし。もうちょっと考えてもらいましょうか、探偵君』
会長の一声が完全に流れを決めてしまった。クリスマスケーキを与えないばかりか、お前たちは俺からおねがいマイメ□ディーを奪うのか?憤怒でやばい事件起こしそう…
『確か、生徒会予備室はまだ見てなかったよね?』
窓の外に広がる漆黒の闇よりもなお暗い俺の心の暗黒を軽やかに無視し、副会長は予備室のドアを開く。たしかに、鍵穴は付いていない。
俺は副会長に続いて予備室に入る。その後に会長と一年生たちが続いて…来ない。振り返って尋ねてみる。
『来ないのか?』
生徒会長は作業台に腰掛けて、こちらに半身を見せている。
そのそばに立っていた暴れ馬が、こちらに向き直った。
『予備室の案内は副会長にお任せです!』
言い切った。最近の一年は生徒会副会長使いが荒いな。
『副会長だけは去年も生徒会いたから、予備室のことも詳しいよ。多分、きっと…』
会長のフォローがフォローになってない。
いやいや、去年から生徒会室のこと知ってるんだったら普通に予備室のことも大丈夫でしょ、多分、きっと…
『何ぐだぐだしてんの』
副会長が急かしてくる。
めんどくさくさめんどくさと思いながら、俺はドアのところから予備室の中を見回してみる。
一言で言って、まあ見るに堪えない。
生徒会予備室は細長い部屋になっており、部屋の奥の方には廊下に出るドアがある。内装は生徒会室と全く同じで、取り立てて古びてもないし新しくもない。壁の造りも天井のタイルも、床の色も生徒会室と同じだ。自分が立っているそばのドアに目をやると、鍵はなく、単にドアノブをひねれば開くごくごく普通の小綺麗なドアだ。立て付けが悪いということも無く、開閉に支障も無い。このドアがある面の壁も、結構綺麗だ。
しかし、それ以外が問題だ。雑多にしまわれた様々な備品が室内いっぱいにひろがり、室内の印象を最悪にしている。
資料を綴じたファイルや帳簿、文具や事務用品、暗幕、横断幕、校旗、トロフィー、賞状、消火器、脚立、バケツ、パイプ椅子、金属製の机、巻かれた大判の納税週間ポスター。
奥の廊下側のドアのあたりに至っても、床に置かれた立て看板、スチール製の掃除用具入れ、ずっしりとしたダンボール、モップ、箒などなど…なかなかの惨状だ。
『ちょっと散らかってるけど気にしないで』
副会長はいつの間にか、先に部屋の奥の方に行っている。
おい、案内しろよ。案内も何も無いような空間だが。
『普段からここはこんな感じなのか?』
『22日に家探ししたあと、ちゃんと片付けてないからなあ…普段はさすがに若干マシ』
『若干か、そっかそっか』
普段から予備室は地獄らしい。
『こっちのほうとかだいぶやばいんだよなあ』
副会長の言葉に、つられて俺も部屋の奥へ行ってみる。
廊下に出るドアは閉まっている。
その右手脇には縦長のロッカータイプの掃除用具入れが鎮座している。
つまりボーイとガールが中に閉じ込められ、外には人がいて出るに出られず…?!的なシチュエーションで大活躍するタイプの掃除用具入れだ。なんとなく埃臭いかほりがする。
ドアの左手脇にはガムテープでがんじがらめの段ボールが積まれ、その隣の床には『生徒会会長選挙』と墨書された立て看板がぞんざいに寝そべっている。
その神聖なる『生徒会会長選挙』の文字列の上には、チリトリとバケツが乱雑に乗っかっている。
おい、終わってんだろ。
『ひどすぎる』
『どう?今から室内捜索する?』
『勘弁してくれ』
6時半くらいまでに生徒会室の鍵を返せばいい、みたいなことは言っていたが。
本当に隠し場所の捜索に手をつけようとしたら、どう考えても1時間以上はかかるのは陽の目を見るより明らかだ。
『一旦出よう。そこのドアは鍵開いてる?』
『開いてるけど…』
チリトリとバケツを掃除用具入れにしまう副会長を尻目に、俺は予備室から廊下に出た。
予備室のドアのすぐ横には、生徒会室後方のドアがある。
副会長が俺の後に続いて予備室から出てきて、予備室のドアを閉めた。
『なあ、一つ聞いていいか?』
副会長が振り向く。
『え?なに?』
『生徒会室の後ろのドア、予備室のドアよりもなんとなくきれいだな』
予備室のドアの表面は、多少日に焼けたのか、どこか色あせた感じが出ている。
そのすぐ隣にある生徒会室のドアの方は見た感じ同じ規格のドアだが、予備室のそれと比べると明らかに新品に見える。
『ああ、今年の春に新しいドアがついたんだよね。そこ』
『なるほど』
よくわかった。大変よくわかった。
『なるほどね』
ポケットからスマホを取り出し、時間を見てみる。今は5時51分だ。
『用務員室ってまだ開いてるかな?』
副会長は静かに答えた。
『そりゃまだ開いてると思うけど。どうかした?』
『一つ二つ、知りたいことが出てきたんだ』
あまりぐだぐだはしていられない。俺は生徒会室のドアを開けた。
『会長、ちょっと用務員室までついて来て欲しい。こっちに来てくれ』
それから、傍にいる副会長に視線を向けた。
『俺の推測が正しければ』
副会長もまた、ゆっくりとこちらに視線を返す。
『この事件のケリは6時半までにつく』
俺たちのすぐ横で、窓側の壁に設置された消火ボックスは物静かに、煌々と赤いランプをともしていた。
* * *
用務員室は一般教室棟の一階の、昇降口の脇にある。
第一特別教室棟を出て渡り廊下を通り、そのまままっすぐ行けばたどり着く。生徒会室からはすぐだ。
『で、何かわかったの』
『何かわかったのかどうか、これからわかる』
『は?』
横からややとげとげしい視線が飛んでくる。本当のこと言ってるのに…
『いくつか用務員の人に確認したいことがある。そのお答えが俺の推理を後押ししてくれるかどうかはわからないけど』
『じゃあ、もう犯人の目星もついてるってことなの』
『ああ。盗まれたものの隠し場所もな』
『そう…』
生徒会役員たちの捜索には、やはり穴があったのだ。
盗まれたものたちとサンタの首は、やはり俺たちのすぐそばにあったのだ。
だが、まだ一つだけ断定できないことがある。
『ところで一つ聞いていいか?生徒会のクリパってプレゼント交換ってやるの?』
俺の質問に会長は少し目を見開く。
『え?唐突すぎる。なんなの』
『他人のクリスマスプレゼント事情がどうしても気になってしまってね…』
クリスマスに対する怨嗟の念を練っていくためには、これも必要な情報収集だ。
『今年はやってないよ。去年どうだったかは知らないけど』
『ありがとう…本当にありがとう…』
自分でも意図せず、心の底から感謝の言葉が出た。
クリスマスプレゼントをもらえないのが自分だけでないと思うと、心に光が満ちる。
『はいはい、どういたしまして。用務員室だよ』
軽〜くあしらわれつつたどり着いた用務員室の明かりは、まだ灯っている。
ドアの横にある窓口から、中に声をかける。
『ああはい、どうかしたの。こんな時間に』
部屋の奥から、中年の用務員が出てきた。
『すみません、ちょっと聞きたいことがありまして…』
『聞きたいこと?どんな?』
『昨日の23日なんですが、学校に出入りする生徒がどれくらいいたかわかりますか?』
以前土曜日に学校に忘れ物を取りに来たことがあった。その時、用務員室へ行って来校者名簿に名前を書いた覚えがある。昨日学校に出入りした人間がいれば、用務員が把握しているかもしれない。
しかしその目論見は見事に外れた。
『ああ、普段は来校者名簿に名前を書いてもらうんだけどねえ。昨日はやってないんだ。サッカー部の練習試合で、部員とか応援とかで結構人が多くてね。応援の人はフリーパスだったよ』
ガバガバすぎるだろ。しかし、チェックしてないものは今更しょうがない。
逆に考えれば人の出入りが多かった昨日だったら、学校への侵入も非常に容易だったということになる。
『ありがとうございます。今のこととは別にもう一つ聞きたいんですが、生徒会室って昔から第一特別教室棟にあったんですか?』
用務員は変な顔をしつつも答えてくれた。
『今の生徒会室の場所は、確か裁縫室だったかな。第二特別棟ができて裁縫室がそっちに移って、裁縫室の跡地に生徒会が入居したんだよ』
やっぱり、そういうことだったのか。
『わかりました、ありがとうございます』
窓口を覗き込んでいた俺を覗き込むように、会長は少し腰を屈めてこちらを見ていた。
『謎は全て解けた、ってやつだ。会長、先に生徒会室に戻っててくれ。俺もすぐに行く』
会長は背筋を伸ばしながら、いかにも不思議そうに言った。
『一緒に生徒会室戻らないの?』
『もう一つだけ用務員さんに聞いてみたいことがある。副会長と一年たちが勝手に帰らないように、先に見張っててほしい』
『そう』
会長は身を翻し、生徒会室の方へ歩き始めた。
『早くしてね。もう18時だし』
『わかってるよ』
そう言いながら、俺はもう一度窓口を覗き込む。
『何度もすみません。最後に一つだけ、聞きたいことがあるんですが…』
静かに冴え渡った冬の夜の廊下に、彼女の歩む足音だけが遠く反響していた。
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