首なしサンタと最後の密室事件(後編)

前編はこちら 

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*       *       * 

 

『冬考えた奴馬鹿だろ…』

特別教室棟へと続く渡り廊下を、研ぎ澄まされた夜風が吹き抜ける。

二、三の枯葉が、追いすがるようにカラカラとすのこの上を転がっていった。

渡りたくない。だが渡るしかない。

俺はポケットに突っ込んだ両手を、さらに奥底へと深く押し込む。

そのまま一息に特別棟へと駆け込む。

駆け込んだ特別棟一階の廊下は、まだ蛍光灯が点っている。

左手に目をやると木工室がある。その隣には調理室が、さらに隣に生徒会予備室、

そしてその更にお隣、すなわち廊下の果てに我らが生徒会室がある。

真っ暗な木工室のドアから教室内をのぞいてみると、暗いガラスにうち震える自分の姿が反射して中が見えづらい。失せな。失せたい。

どうにか目を凝らし、目当てのものが確かにそこにあることを確認してから、俺は再び歩き出す。

通常教室よりも間延びした大型の教室たちの横を通り過ぎた末、俺はようやく生徒会室のドアを開く。

 

       *       *       *

 

生徒会室には役員全員がきちんと残っていた。

『"謎は全て解けた"んだって?』

入るなりニヤニヤと投げかけてきたのは副会長だ。

役員たちは机を並べて作った作業台のあたりにたむろしていた。

副会長は会長と向き合って座っており、目の前にあるケーキ皿は空になっていた。

一年の役員たちは副会長の隣りあたりで立っていたり椅子に座っていたり机に腰掛けたりしている。椅子に座っているのは暴れポニテだ。

『ああ、わかった』

前の黒板の上にかけられた時計は、6時10分を指していた。

『大変残念なことに』

俺は作業台に歩み寄る。会長が足を組んで机に頬杖つき、黙ってこちらに目を向けてくる。

『生徒会の面々による家捜しには、穴があったわけだ』

言い切って副会長の脇に立つと、副会長を挟んで向こう側にいる黒髪パッツンとシャギーショートボブの一年が、じわりと後ずさりした。なんでそんなことするの?

『穴があった?』

俺を凝視しながら、会長が立ち上がった。

『それじゃあ、盗まれたものは全て生徒会室か予備室にあると?』

『その通りだ。盗まれたものは全て、ほんのすぐ近くにある。ちょっとついてきてくれ」

俺は戸棚の横を抜けて予備室の扉を開けた。

『予備室にあるって言うんですか、本当に?』

暴れポはいぶかしげに聞く。

『ああ。答えはこの部屋にある』

役員の面々は俺に続いてドカドカ予備室に入ってくる。

改めて予備室を見渡してみる。

家捜しされたままの室内は引き出しという引き出しが開けられ、口が開きっぱなしのダンボール、ファイルやスズランテープで縛られた書類が散乱している。

部屋の奥のほう…廊下に出るドアのあたりもひどい。

生徒会役員選挙という神聖な文字列が踊る立看板は、相変わらず床に敷かれるように置いてある。そのそばの掃除用具入れからモップだのホウキだのが飛び出している。

かなりの捜索の跡だが、やはり生徒会役員たちの家捜しはまちがっている。

『それで、いったいどこにあるんですか』

暴れポニテの問いかけに、暴れポニテの後ろからこちらを伺うパッツンとシャギーが続く。勇者のように前に進み出た仲間を盾にするな。成り上がるぞ。

『予備室はこの前かなりあちこち調べたんですよ』

『引き出しとかダンボールとか、見れるところは全部見たと思うんですけど』

見れるところは、ね。本当に?

『それじゃあ聞くが』

細長い造りの予備室、その真ん中あたりの雑然とした一角に置かれた、明らかにおかしなモノを俺は指差した。

『あそこに消火器があるな』

そこに鎮座ましましていたのはみなさんおなじみ、ごくごく一般的な赤い消火器だ。

『あるけど、それがどうしたの?』

むき出しの消火器を眺めながら、会長は平らな声音でそう言った。

『なんでここに消火器があるか知ってるか?』

『なんでって。昔の火事のトラウマで、ウチの学校は消火設備がめっちゃ多いって話したと思うけど』

『去年もボヤ騒ぎあったみたいですからね〜、知らんけど』

暴れポニテはそう付け加えた。

知らんのが当たり前だ。

去年のボヤの時には、今の一年はまだ入学してないんだから。

『そう、だから消火器があること自体は別に不思議なことじゃ無い。だが、あそこに消火器が置かれてるのは不自然だ』

『どういうこと?』

会長が怪訝な面持ちになっている。

『こっちへ来てくれ』

そう言って俺は消火器を素通りし、予備室の奥、廊下に出るドアのそばへ立った。

『あれ、消火器は?』

暴れポニテは消火器の前できょとんとする。

『それ自体は別にどうでもいい。問題は』

役員たちが集まってくるなり、俺はしゃがみこむ。

そして俺はすぐ足元にある、薄緑色のリノリウムに横たわる生徒会役員選挙の神聖なる立て看板を持ち上げた。

『こいつだ』

立て看板の下から現れた床面。

そこにあったのは、赤い円に白字の「消火器」マーク。

まさしく、地下収納の消火器ケースの上蓋だ。

『えっ』

一年たちが驚きを漏らす。

『これは…』

『この部屋…生徒会予備室は、かつては生徒会室であり、さらにその前には裁縫室だった』

『え?何のことです?』

『生徒会予備室と生徒会室は、もともとは一つの教室だったってことだ。去年の冬のボヤ騒ぎの結果、お隣の調理室は今年の春休みに改修工事されることになった。その時手が加えられたのは、調理室だけではなかったんだ。一緒に、生徒会室でも工事が行われたんだよ』

床下収納の蓋から顔を上げると、目の前には汚れの少ない壁が広がっている。この壁一枚の向こうに生徒会室がある。

『春の工事の時、生徒会室の後方の一角が壁で区切られて、生徒会予備室が作られた。つまり、予備室と生徒会室を区切る壁…今俺たちの目の前にあるこの壁は、今年の春になるまで存在しなかったんだ』

『今年の春までの生徒会室は今よりも広かった、ってわけね』

会長は得心顔だ。副会長はむき出しに置かれた消火器の方をちらりと見た。

『第一特別教室棟の特別教室には、俺だって何度も入ってきた。木工室も調理室も理科室も、だいたいの特別教室には。しかし、今日初めて入ったこの生徒会室には違和感があった。少し狭いんだ、他の特別教室よりも』

ほええと言いながら暴れポニテがかすかに後ずさりして、すぐ後ろに詰まっているパッツンとシャギーにぶつかる。その隣で副会長がシャツの裾をつかんでいるのを横目に見ながら、俺は続けた。

『ここの生徒会室は特別教室棟の教室の一つなのに、特別教室特有の面積の広さがない。普通の授業教室と同じ広さなんだ。それも当然だ。今の生徒会室は、今年の春までの生徒会室と比べると狭くなったんだ、ちょうど予備室一部屋分ね』

ポン、と手を打ったのは会長だ。

『言いたいことがわかった。生徒会室と予備室を合わせた広さが、ちょうど特別教室一つ分と一致する、ってことでしょう?』

『そのとおりだ。生徒会室と生徒会予備室は、かつて一つの裁縫室…一つの特別教室だった。そうだとすれば、特別教室には必ず一つの『穴』があるはずだろう?』

『『穴』、ですか?』

暴れポニテはすこし前かがみに、しゃがんだ俺を見下ろしている。

『消火設備にうるさい我が校では、一階の特別教室全てに床下収納で消火器を設置している。その床下収納が作られる位置は、他の特別教室と同じ場所。教室後方のドア近くの床だ』

そこで、パッツンが暴れポニテの左後ろから顔を出して言う。

『生徒会室の後ろ側は壁が作られて予備室になったから、床下収納は予備室にしかないんですね』

暴れポニテの右後ろから顔を出しているシャギーが続く。

『あれ?でもだったらなんで…』

気づいたみたいだな。

『おかしいと思うだろ?予備室には消火器をしまうための地下収納があるのに、なんでわざわざあそこに消火器が置いてあるんだ?』

俺の言葉に、全員の視線が床下収納の上蓋に向かう。

『もうわかったみたいだな。あの消火器は本来、この床下収納にしまわれているものなんだろう。だとすれば。その消火器が入っているべき床下のスペースには、今何が入っているのか』

答えは明白だ。

上蓋の取っ手を引き出し、俺は一気に上蓋を開く。

暴かれたその『穴』の中にあったのは、消しゴム、マグカップ、歯磨き粉、赤い電動鉛筆削り、安っぽい(しかも開封済みで、輪ゴムで縛られた)袋入りのスナック菓子。

それらの品々が、何かが詰められた白い袋の上に載せられていた。

穴の中を一瞥して、俺はおもわず目を細めた。

『ほんとに、あった…』

暴れポニテはやや放心気味につぶやいている。

副会長はしゃがみこんで『穴』の中を覗き込み、パッツンとシャギーも口々にお気持ちを漏らす。

『マジか〜…マイメ□パイセンやば…』

『キモッ…』

おい、最後の反応おかしいだろ。

落ち着きを失った空気の中で、冷静に口を開いたのは会長だった。

『なぜ、わかったの?』

目の前の白い壁に手を触れてみる。表面はペンキ塗りで、ムラはない。

『最初のきっかけは、この壁…生徒会室と予備室を区切る壁が、生徒会室と予備室の他の壁より年季が入っていないのに気づいたことだった。しかしそれだけでは確証が持てない。そこで、俺は副会長に聞いてみた。壁ではなく、生徒会室の後ろのドアについてだ』

『え?ドアについて?』

『あのドアもまた、妙だと思った。予備室のドアに比べて、そのすぐ隣にある生徒会室のドアの方が新品に見えたからな』

『さっき聞かれたアレか』

副会長は微笑を浮かべている。

『ああ。“今年の春に新しいドアがついた”、確かそう言ったな』

『言ったよ』

『それってつまり、今年の春、ドアが新品に取り替えられたってことですか』

暴れポニテの理解は妥当だ。だが。

『俺も一瞬そう思いかけたが、そうではないんだ。副会長、改めて聞いてみてもいいか?』

『いいよ?何?』

『“今年の春に新しいドアがついた”というさっきの言葉は、“今年の春の工事で、生徒会室の後ろに新しくドアが作られた”という意味だったのか?』

『そうだよ。もともとの生徒会室の後ろのドアは、部屋が壁で区切られて予備室のドアになっちゃったからね。そうなると、生徒会室の出入り口が一つだけになる。だから、普通の教室の広さに改造された新生徒会室の後ろに、ドアが新しく作られた』

『“今年の春に新しいドアがついた”という文章にはふた通りの意味がある。今年の春に“古いドアと入れ替えに、新品のドアが取り付けられた”か。あるいは、“ドアそのものがなかった場所に新しくドアが作られた”か。これがもし後者なら、今年の春の工事は調理室だけじゃなく、生徒会室でも行われたという証左になる』

会長はふ〜んといった表情をする。

『さっき用務員室に行ったのは、その推理が正しいかを確かめるため?』

『まあ、そうだな』

思いっきり変な奴を見る目で、用務員は教えてくれたものである。

調理室の工事の予算と同時に、生徒会室の改修の予算も出たのだそうである。

『予備室は、間違いなく今年の春の工事で造られたそうだ。ちょうど調理室で工事をするから、それに便乗してってことらしい』

会長はそれで納得がいったらしい。

暴れポニテたちは、『穴』の周りを囲んでいる。

『あの〜、ちょっといいですか?』

一年たちは穴の中身に興味があるようだ。

『この白い袋、一体なんなんですかね』

『なんか色々入ってる感じなんですけど』

盗まれたものたちを拾い上げ、さらに穴の底にある白い謎の袋を外に出そうとしているようだ。

『それはちょっと待ってほしい』

『待ってほしい?なんでですか』

『その袋を取り出すのは、犯人の動機を明らかにしてからだ』

『犯人の動機?』

暴れポニテ一同が怪訝な表情を浮かべる。

会長の視線が、刺すように俺に向かってくる。

『そう言うからには犯人が誰だか、わかってるってことね』

『謎は全て解けたって言ったろ。この事件の場合』

周りを囲う役員たちに背を向けたまま俺は立ち上がり、もう一度足元の穴を見下ろす。

『動機さえ導き出せれば、犯人にたどり着くのは簡単だ』

『話してみて』

『考えるヒントは、現場に残されていたサンタの肉片だ。残された肉片を組み合わせることで、サンタの人形は完成する。そしてその完成は、同時に事件の完成を意味する。そして犯人は、その完成の日が24日のクリスマスイブ、つまり今日になるように事件が起こしてきた』

『25日に人形が完成するように事件を起こしても、肝心のサンタのパーツを誰も見つけてくれないかもしれないからでしょ』

『それもそうだが。犯人がメッセージを伝えるためにサンタの人形を使ったのには、もっと単純な意味があるとしたら?』

『え、単純な意味って?』

『そのまんまだよ。サンタって言ったら、普通何を想像する?サンタクロースって、いったい何をする人だ?』

暴れポニテが解答する。

『そりゃ、クリスマスプレゼントを持ってくるんですよね、白い袋担いで、トナカイに乗って』

乗ってるのはソリだが、ここでは触れないことにする。めんどい。

『そう、サンタクロースはクリスマスプレゼントを持ってくる。それこそ、犯人がサンタの人形を使って伝えたかったことなんじゃないか』

はあ〜?と言いたげな表情で突っ込んできたのはパッツンだ。

『伝えるも何も、そんなん当たり前じゃないですか』

『だが、犯人はわざわざそれを伝えようとしたんだ。ところで会長』

『なに?』

『今日開かれた生徒会のクリパでは、プレゼントを受け渡すイベントはなかったんだよな?』

『え、またその話?確かになかったけど…え、もしかして、この穴の中の白い袋って』

『そこから先は、犯人の口から聞いたほうがいいんじゃないかな』

俺はゆっくりと犯人に向き直った。

まったく、どのツラ下げて聞いてたんだか。

『そうでしょう、副会長』

名指された副会長は不敵に笑っている。

『ご指名どうもありがとう。どうして私が犯人になるのかな?』

『簡単だ。この事件の犯人であるためには、幾つかの条件をクリアする必要がある。まずひとつは、生徒会役員であること。23日に足をつけることなく生徒会室内で犯行を実行できるのは、予備室のドアを鍵なしで開けられる『裏技』を習得している者だけだ。二つ目は、現役の役員であること。最後の犯行を行う日を25日でなく24日にするためには、生徒会役員が25日には生徒会室に来ないと言う事実を認識している必要がある。昔生徒会に所属していた人間だったら『裏技』は知っているだろうが、今現在の生徒会の活動予定までは知りようがないはずだ』

現役役員のタレコミがあれば話は別だが、犯人の“目的”を考えれば問題外だ。

これで犯人は、現役生徒会役員5名のうちの誰かに絞られる。

『そして三つ目。これが決定的なんだが、犯人は去年も生徒会に所属していた人物でしかありえない。つまり、春休みの工事よりも前の生徒会室後方ドアのそばには、地下収納の消火器ケースが存在すると知っていた者。そいつこそ犯人だ。普通の生徒は、春休みに特別棟の一角で行われた工事のことなんて全く知らない。特別棟を頻繁に来る事情のある生徒以外は、調理室と生徒会室の工事のことなんて全く知らずに春休みを謳歌していただろう。そして今の生徒会に、去年から生徒会役員として所属していて、今も現役の生徒会役員である人間はたった一人しかいない』

『だから、私しかいないってことか』

ここまでだな。

『俺の解説はもういいだろ?ここから先は、自分で説明してくれ』

『お気遣いわざわざどうも』

副会長はニヤリと笑う。

『確かに私が犯人だよ』

会長はその大きな瞳を更に見開いた。

『副会長…いったいどうして…』

『副会長、信じてたのに…私の歯磨き粉をどこにやったんですか?!返してください!』

『いやそこにあるでしょ』

『ほ〜ら落ち着けドウドウドウ』

いななきわめき副会長に襲いかかろうとする暴れポニテを、パッツンとシャギーがブリーダーよろしく諌める。ご苦労様です。

副会長に盗まれ、そして発見された物品たちは近くの机の上に並べられている。

ていうか歯磨き粉一つにそこまで思いを懸けられるものか。その感受性を大事にして生きて欲しい。生きろ。

副会長は穴の前でしゃがみ込んだ。

『よっこいせ』

年寄りくさい掛け声とともに、穴の中に入っている白い袋を取り出した。

中身がいろいろ入っているようで、結構かさばっている。

『その袋の中身って、もしかして』

会長の問いかけを背中に浴びながら、副会長は白い袋を肩に掛けて立ち上がった。

『そうだよ。せっかくのクリスマスなんだから』

傍から様子を伺っていた一年生の方を見て、堂々言い放つ。

そのまなじりから、あふれんばかりの優しさを込めた笑顔で。

中身でいっぱいの白い袋を背負ったその姿は、さながら…

『サプライズプレゼントだよ、後輩諸君への』

 

       *       *       *

 

明らかに間違っている。

そこには、あるべきものがなかったのだ。

三人の一年生役員たち全員に無事にプレゼントが渡された。副会長が一連の事件で騒がせたことを詫び、『盗まれた』モノたちがしかるべき場所や持ち主に還った時、時間はちょうど6時半だった。

副会長渾身のサプライズの余韻に浸る間もなく、俺たちは足早に予備室から生徒会室に戻り、手早くコートを羽織り、カバンを掴んで慌ただしく生徒会室を出て、扉の鍵を閉めた。

強大な権力を握る悪の団体であるところの生徒会といえども、許可なく最終下校時刻を30分オーバーするのはよろしくない。ちっさ。

一年生たちは先に帰して、俺は会長、副会長と連れ立って職員室へ向かった。生徒会室の鍵を返すためだ。

もはやおねがいマイメ□ディの放送は始まってしまっている。万事が終わってしまった俺には、もはや急いで帰る意味は無くなってしまった(今からどんなに急いで帰っても家に着くのは7時過ぎだ)。むしろ家に帰る意味すらない。なんならこの世にも全く意味はないと言える。ぜんぶがどうでもよいな。

『それにしても、見つけられないもんだね』

会話の口火を切ったのは、俺の前を会長と並んで歩いている副会長だ。

『収納のフタの上に、単に看板置いてたただけだったのに』

いかにも不思議そうな表情を見ると、獲物の隠し方に特に深い意図はなかったらしい。

『いや。なかなか巧妙だったよ』

“普通に考えると見つかってしまいそうな場所に、あえて隠す”というテクニックは、世界で最初の推理小説にも登場する大変由緒あるやり口なのだ。

副会長は、知らずにそれを応用していたのだ。

『何も知らずに見れば、ただ立て看板が床に横たわってるだけだった。その下に“穴”が隠れているとは、普通は考えない』

それに、その看板が生徒会役員選挙の立て看板であるというのが傑作だ。

もともと生徒会に所属していた副会長以外の役員は、役員選挙の後から生徒会に加わったはずだ。

つまり、彼女たちには予備室の立て看板を自分で動かす機会がなかったのだ。

年に一度しかない役員選挙でしか使われない看板を、選挙もないのにわざわざ動かすなんてことはそうそうないだろう。

だから、会長も暴れポニテもパッツンもシャギーも床下収納の存在に気づくことができなかったのだ。

『それにしても変じゃない?』

唐突に疑義を呈するのは会長だ。

『予備室に置いてあった消火器。あれ、私が生徒会室来るようになった時には、もうすでに予備室に置いてあったと思うんだよね。役員選挙の後だから…半年くらい前からかな。なんであの消火器は床下に入ってなかったんだろ?』

そうだとすれば確かにおかしい。

あの消火器は、間違いなく予備室の消火器ケースの物だった。消火器本体と収納の中の消火器ケースに、同じ管理番号が記載されたシールが貼られていたのだ。

会長の言葉が正しければ、消火器はクリスマスの半年も前から本来あるべき床下収納に格納されていなかったことになる。なんでそんなことになっていたのか?

しかしその疑問には、副会長から明快な答えが返ってきた。

『それは私が出しておいたからだね。たしか選挙の前だったな』

『え、なんでそんなことを』

会長があっけにとられる。

『そりゃあもう、今日のサプライズのためだよ』

『おいおい』

仕込みに半年もかけたのか。サプライズに本気出しすぎだろ。

『前の生徒会のメンバーがさ。上級生は引退したし同級の子も転校と留学でいなくなっちゃったんだけど。私以外みんないなくなっちゃうから、後の世代に何かを残したいっていう話になってね』

『まさか、前の生徒会役員ぐるみでこのサプライズを計画した…?』

『その通りだよ』

他に残すべきレガシーあるだろ。

会長は少し目を細め、しかしどこか嬉しそうに言った。

『バカだなあ』

そのとき、副会長はほころぶように柔らかく笑った。

『でも、面白いじゃん?』

会長はカバンを背負い直し、ふうと短いため息をついた。

『なんか…完全にしてやられたって感じ』

職員室にたどり着くと、我々はおもむろにジャンケンをした。

その厳正なる結果を反映し、生徒会を代表して会長が鍵を返しに職員室に入っていく。

教員からのお小言は会長に全てお任せし、俺と副会長は廊下で待っていた。

『にしても、焦ったよ。会長が生徒会室にあんた連れて来た時さ』

壁に少しもたれかかりながら、副会長は体に溜まった緊張というガスをふっと抜くみたいに喋った。

『生徒会の誰かが…まあ本命は会長だったけど…誰かが謎を解いてくれれば、別にそれでいいと思ってた。でもまさか、わざわざ外部の人を呼んでくるとは…』

『悪かったな。せっかくのクリパに乱入して』

副会長は壁に背を預けたまま、足元に置いたバッグを右足でぽすっと蹴った。

『別に悪くはないでしょ。私の見込みを会長が軽々と越えてきただけ』

どこか満足げで、肩の力が抜けたようだ。サプライズプレゼントを無事渡せた、という安堵がそうさせるのだろう。

人通りもない職員室前の廊下に、どこか柔らかな温度が流れていた。

このまま、何も言わなくたっていい。

しかし、俺は『余計な一言』を言わずにいられなかった。

『それにしてもどこに行ったんだろうな、サンタの首』

一瞬、副会長の表情が固まった。

結論から言って、首なしサンタは完成しなかった。

なぜか?

予備室の床下収納の中に入っているべきサンタの首が、存在しなかったからだ。

サンタのパーツは全て揃わなかった。

気づいた瞬間、俺の推理に誤りがあったのか、と思った。

しかしそうではなかった。

犯人である副会長自身が、たしかに床下収納にサンタの首を入れた、と言ったのだ。

『間違い、ないんだよな』

俺の問いに、副会長は静かに答える。

『23日に予備室に来た時、私は間違いなくサンタの首を床下に入れた。これまでに盗んだ物と、プレゼントと一緒にね』

『しかし、蓋を開けたらびっくりだ』

プレゼントを入れた袋の中も、当然探した。だが、サンタの首は入っていなかった。

生徒会室と予備室を徹底捜査する時間も気力もなかったから、俺たちはそのまま生徒会室を立ち去ったのだが。

『…ねえ、これってつまりさ』

かすかな不安をはらんだ瞳が、そっと目配せしてくる。

『言われなくてもわかってる』

めんどうなことになった。

この事実が意味するのは、たった一つ。

生徒会役員の中に、この事件を解いていた何者かがいる。

それも、俺よりも前に。

23日、副会長が出て行った後で予備室に入り込み、サンタの首を持ち出した者がいたのだ。

副会長と俺は、その何者かに、ものの見事に出し抜かれた。

 

       *       *       *

 

翌朝である。

本日は12月25日、金曜日。終業式。そして、まことに忌むべきクリスマスだ。

時間は午前8時ジャスト。

俺はなぜか学校にいた。

廊下を歩いてみれば、窓という窓からあまりにも白々しい朝の陽光が情け容赦なく流れ込んでくる。そして情け容赦なく寒い。

普段は8時半の本鈴とともに堂々教室に入場するのだが、今日は事情が少し違った。

昨日、ペンケースを図書室に忘れてきたらしいのだ。図書室を出る前、確かにカバンに入れたつもりだったのだが。

明日から始まる冬休みにことさら勉学に励もうという気はないが、そうは言っても筆記用具全部を学校に忘れたまま年越しというわけにもいかない。

今日一日、今日一日終業式を乗り切れば解放される、今日一日、今日一日だけ…と死に物狂いで念じながら布団から体を引き剥がし、いつもより30分早く登校して図書室に行くことにした。

別に終業式後に取りに行けばいいんじゃね…という常識的かつ最善かつ唯一にして絶対的な選択肢に気づいた時には、すでに図書室の鍵を開けていた。

この世の全てを恨みながらドアを開く。

目の前に広がるのは、本棚と読書机が居並ぶ何の変哲もない図書室だ。

昨日の帰りにカーテンをかけた室内はまだ薄暗い。

照明をつけてから、入口横の貸出カウンターに入る。

見たところ、カウンターの表には何もない。

それなら、とカウンターの引き出しに鍵を差し込む。

開錠された引き出しを開ける。

中には各種のファイルや帳簿が整然と仕舞われている。

ペンケースは確かにそこにあった。

しかし、それだけじゃない。

ペンケースの下に敷かれていたのは、昨日引き出しを覗いた時には存在しなかった、俺宛の見知らぬ白い封筒。

そしてもう一つ。

ご丁寧にも『それ』は、俺をあざ笑うかのように、ペンケースの蓋の上にのせられていた。

真っ赤なお鼻の、サンタの首だった。

 

       *       *       *

 

終業式を終えた真昼の校内には人影もまばらで、閑散としている。

生徒の多くは、もう学校に用はねえとばかりに三々五々に下校していく。

ごく短くケチくさい冬休みの幕開けだ。

ほぼ何も入っていない軽いカバンをつかんで教室を出て、俺は学食に向かうことにした。

弊学には安くて早くてまずいランチを提供してくれるありがた〜い学食があり、そこに購買部が併設されている。

そして本日は学食も購買も営業していない。

営業していないが、ランチスペースは開放されている。

普段の昼休みはかなり混み合うが、生徒どもが昼前に学校から解放される今日は全然人気がない。

無駄に広大なスペースに並ぶテーブルと椅子は、ただただあるがままに並んでいる。

正門に通ずる道を臨む正面の大窓からのぞく空は、いつのまにやら白い雲に覆われて文字通りの曇天だ。道に沿って並び立つ木々はいずれも枯れて、寂しげな枝々がむなしく宙を指していた。

購買部の売店のすぐ隣にある自販機コーナーでディニッシュパンといちご牛乳を買い、俺は手近の席に荷物を置き、腰を落ち着けた。

卓上に本日の昼食を並べてから、カバンの中をまさぐる。

取り出したのは、白い封筒だ。表には俺の名前が書かれている。

HRの時間に一度封を切って中身を確認したが、改めて検討してみたいことがあった。

封筒の中には白い便箋が一枚入っている。

その便箋には、ある大変個人的な感情を吐露する文章が簡潔に書き連ねられていたが、ここではその内容に触れない。

気になった点が二つあった。

一つには、差出人の名前が手紙のどこにも書かれていないこと。

もう一つは、その手紙の末尾に今日の14時に図書室前に来て欲しい、と書いてあることだ。

ポケットからスマホを取り出してみる。

今は11時半だ。

だいぶ…だいぶ時間がある。

手紙で一方的に宣告された時間までにやることは、特にない。

その手紙が誰からのものなのかも、なぜ手紙とともにサンタの首があったのかも、そして昨日俺が施錠してから今日の朝俺が鍵を開けるまで、完全な密室だったはずの図書室の、それも鍵がかかっていたはずの引き出しの中に、一体どうやって手紙とサンタの首を入れたのかも。

そんなことは考えるまでもなく明らかだった。

 

       *       *       *

 

二時間半たらずの間に、スマホの充電が残り2%になった。

13時50分になったのを確認してから、俺はスマホをしまってカバンを背負い、席を立ち、図書室へ向かうことにした。

渡り廊下をぶらぶら渡り、特別教室棟に入る。

無限に続くかと思われた階段を上りきって四階にたどり着くと、廊下を右に曲がる。その突き当たりに図書室がある。

俺を呼びつけた相手は、そのドアの前に立っていた。

『マイナス5分遅い』

生徒会長は、つとめて意地悪そうに言った。

俺は何も言わずにゆっくり歩いていき、会長の前に立った。

『もしも俺が手紙を見つけてなかったら、どうするつもりだったんだ?』

『それはありえない。あなたのまったく無駄に真面目な性格から言って、ペンケースを学校に忘れたら、必ずそれを取りに来る』

会長の人間観察に文句をつけたいところではあったが、ここは立ち話に向いた場所ではない。図書室も今日は誰も来ないだろうが、図書当番は詰めている。

『場所を変えよう』

『そうだね。…ついて来て』

会長はさっさと歩き出す。

無限に続くかと思われた階段を下りきって一階にたどり着くと、廊下を右に曲がる。その突き当たりに生徒会室がある。

会長がガラガラとドアを開いて中に入るのに続いて、生徒会室に踏み込む。

昨日来てから24時間も経っていない。自分の人生において、こんな頻度で生徒会室に立ち入ることがあるとは思いもしなかった。

室内には誰もいない。そういえば昨日、25日は誰も生徒会室に来ないって話したな。窓にはカーテンがかかっており、少し薄暗い。

作業台の上に会長のカバンと、首なしサンタが乗っている。便乗して、俺の荷物もそこに置かせてもらうことにする。

会長は後ろ手にドアを閉めるとそのままドアに背中を預け、こちらに視線を向ける。

俺はその視線を正面から見返す。

『手のひらの上で踊らされてたんだな、俺も、副会長も』

会長は少し姿勢を崩しながら微笑する。

『人聞き悪いこと言うなあ』

『正直、俺は調子に乗ってしまった。連続盗難事件の謎を、見事に暴いたってね。それがお前に仕組まれたことだと気づきもせずに』

『仕組まれたこと?それだとまるで、すべての黒幕は私みたいな言い方だね』

『事実、そうだろう。俺よりも先に、副会長のサプライズに気づいてたんだろ?』

『あれ、昨日自分で言ったこと忘れた?春休みの工事よりも前、生徒会室後方ドアのそばに地下収納の消火器があるって知らなければ、この事件を解くことはできなかったはずだよね』

『いいや。お前は消火器の存在を知ることが…違うな、推理することができたんだ』

『へえ?どうやって?』

大仰に大きな目を見開く。

『予備室ができた時の春の工事。あれはそもそも、お隣の調理室の改修工事がきっかけで実施されることになったんだよな』

『そうみたいだね』

『調理室の主である家庭科教師は、春の工事について当然知っていた。少なくとも、工事の範囲が調理室だけでなく、生徒会室も含まれているということ、そして調理室の隣に“生徒会予備室”ができること。それくらいは知っていただろう。そりゃあ生徒会室の中で行う工事のことなんて、家庭科の教師の知ったことではない。だが、自分の教室の『お隣さん』が変わるんだったら、それを知らないって方が不自然だと思わないか』

会長は、まっすぐこちらを見据えている。

『そしてお前は昨日、俺が職員室に図書室の鍵を返しに行った時、家庭科の教諭と仲良くおしゃべりしていた。それが意味するところははっきりしてる。お前は、生徒会予備室が春に造られたばかりだと、家庭科教師から知りうる立場にいた』

身じろぎもせず、会長は静かな笑みを湛えている。

その笑みの奥にある感情が見えなかった。

『“特別教室の後方には床下収納がある”こと、“生徒会室はかつて特別教室だった”こと、そして“生徒会予備室は生徒会室の後方に造られた”という三つのシンプルな事実を組み合わせれば、誰でも盗まれたものとプレゼントの在り処にたどり着くことができた。副会長を除けば、その三つの事実にたどり着くことができた生徒会役員は、生徒会長以外にはいなかったんだ』

そう考えると、理解できることがある。

『そして自分がすでに事件を解いていることを隠して、お前は俺に事件を解かせようとしていた。わざわざ俺を家庭科室に連れて行き、床下収納を足で突いて俺にその存在を意識させた。“悲劇的結末”ってのは、俺用のお茶請けが何もないなんてそんな馬鹿げた話じゃない。床下収納の存在を知らせなければ、この事件を解くことができないという意味だったんだな?』

『ふっ』

突然噴き出したと思うと、会長はくつくつと笑った。

『何か間違ってるか?』

『なにも間違ってはないよ。ただ、』

『ただ?』

『ほんとそういうところ、結構真面目だよね』

『真面目ついでに、もうひとつ』

俺はカバンから、サンタの首を取り出す。

そしてその首をあるべきところに戻す。

完成だ。

ぱちぱちぱち、と会長が小さく拍手する。

『おめでとう。これで延長戦終了だね』

『ありがとう?』

五体揃ったサンタの木人形の姿が、そこにはあった。

俺はひとりごちた。

『こうなってしまえば、図書室の密室なんて馬鹿馬鹿しい』

密室もクソもありはしなかった。

昨日図書室にやってきた会長は、俺が窓の施錠をしている隙に図書カウンターの引き出しを開け、俺のカバンから取り出したペンケースと封筒、そしてサンタの首を入れたのだ。そして何食わぬ顔で俺とともに図書室を出た。

全く拍子抜けな話だ。なんだか力が抜けて、気分が弛緩してしまう。

その時だった。

ガチャリ、という金属音が生徒会室に響く。

『…なんの音だ?』

会長は俺の問いには答えなかった。

『手紙。読んだんでしょう?』

絢爛とした瞳をしなやかに細めながら、会長はドアにもたれていた。手を後ろに回したまま。

『…鍵をかけたのか?』

会長の表情はどこまでも楽しげだ。

『他のドアもかけてあるよ。予備室のドアもね』

俺にはその笑みの底にあるものが、見えていなかった。

あらゆる思念と感情が、俺の中で一つの、あまりに素朴な疑問へと結びつく。

『なんでだ…どうしてそんなことをする?』

『わからない?』

カーテンの間から、すでに傾き始めようとする黄色い陽光が帯のように流れ込んだ。

その光の綾の中で、彼女は美しい華が綻ぶみたいに笑って、言った。

『ずっと一緒にいたかったから』

 

       *       *       *

 

その時初めて、俺は自分が犯した致命的なミスに気付いた。

そうだった。

俺はあの時、副会長にこう言うべきだったのだ。

『俺にも教えてくれないか、副会長。生徒会一子相伝のワザってやつを』

 

(了)