白骨街道
朝9時から夜11時までの13時間奴隷労働から解放され顔も体も心も何もかもボロボロになった私は、バイト先から駅への最終バスに見事乗車失敗し、棒のようになった足を引きずって駅まで歩いて20分の道をひた歩いた。飢えと渇きと疲れ、そして肌を刺す冷気に攻められながら。
二月の多摩の冬の夜は、凍てつく寒さが身に染みる。目の前に続く暗い道路を見渡すと、車一台通らずだれひとり歩いていない。夜闇に浮かぶ暖色の街灯も、信号の赤や緑のライトも道なりにまばらで、その数少ない明かりのさらに向こうを目指し、なにも見えない道を私はひた歩いた。
その先に、その道の先にこそ私が目指す場所(豊田駅北口)があるのだ。
しかしその地はあまりに遠い(徒歩20分)。
闇のむこう、ひときわ高くに、煌々と輝く光があった。
セブンイレブンである。
セブンイレブンのクソ高い看板の明かりが、まるで地平線の彼方に霞む砂漠のオアシスのようだった。『セブンイレブンの明かりが砂漠のオアシスに見える」ということ自体が既に俺の人生の基本軸がどんなものであるのか、その全てを示している気がする。
絶望。
セブンイレブンの光に安心できてしまう生。一体これはなんなのか。どうしてこんな人間になってしまったのか。
なんなのこの人生。
暗澹たる気分で角を曲がった。
突如として私の眼前に、ほんのかすかな希望の燭光が差した。
モスバーガーである。
マックとは異なり、人が人として生きることができるハンバーガーチェーンである。
目に入ったモスバーガーでハチャメチャになった俺の人権を救済しようとし、店内をのぞいて見た。
もう閉店してた。
店員がモップを持って店内の掃除をしているのが見えた。あたかもその15分程前にバイト先でモップ片手に自分自身がそうしていたように。
モスバーガーに、私の居場所はなかったのだ。
インパール作戦敗残の日本兵のように精も根も尽き果てながら、打ちひしがれるように私はモスバーガーの前を通り過ぎた。
その私の目の前を、既に運転を終了したはずのバスが目の前を通り過ぎる。
深夜バス。この時間でもバイト先から駅までのバスが出ていたのだ。
しかし既に駅までの道の半分は歩いてしまった。もはやバスに乗りにバイト先に戻るなど考えられない。
もう完全に気が狂う。
打ちひしがれる私の傍、あざ笑うかのように中央線が夜の中を八王子方面に走り去っていくのが見えた。
何が中央線だ馬鹿野郎と思いながら、私は暗く閉ざされた道をひたすら歩く。
やがて、ちらほらと道行く人の姿が見えるようになってきた。
道沿いには店が並び始めた。夜の装いした街。
駅はもうすぐそこだ。
この悲惨な敗走も間も無く終わる。
そう思いながら私は交差点を曲がり、駅前通りに入った。
その瞬間だった。
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道路
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松屋・すき家・吉野家の豊田駅前牛丼トライアングルwith日高屋が私の目に飛び込んできた。
一瞬で心臓止まってぶっ倒れた。
私は豊田駅北口を目の前にして、小雪ちらつく歩道上でついに息絶えた。
今は収容された日野市営火葬場からブログを書いています。