悲願
今日はなんと松屋に行きました。
朝、駅の近くにある松屋の前を通り過ぎた時、私は今日は死んでも松屋には行くまいという決意を固めていました。昨日も松屋に入ったからです。
それから数時間後、雨の降りしきる昼、気づいたら松屋に突入していました。マジで引力に引きずり込まれるみたいだった。
昼休みのドカタの方々や枯れ果てたサラリーマンや枯れつつあるサラリーマンやこれから枯れていく若いサラリーマンや意味不明の無職っぽいおっさんでごったがえす白昼の松屋にいると、自然に生きている意味を考えてしまう。
我々は何のために生まれてきたのか
我々はネギ塩豚カルビ丼を食べるために生きている訳ではない
生野菜サラダ(110円)を食べるためではない
松屋で消費されていく人生なのか 松屋が人生を消費しているのか
無職っぽい私服のおっさんは無職なのではなくて有給を消費してるだけなのか
有給休暇のお昼に松屋に来るおっさんの生の意味とはなんなのか
早く松屋でご飯食べなくてもいいようになりたい
自殺をすればALL OKに意識は収斂していく
冷静に考えたら今日は雨の日だった
すた丼が雨の日サービスで餃子無料の日だ
完全な敗北が舞い降りる
人生には三つある
①松屋しかない人生 ②すた丼しかない人生 ③松屋とすた丼がある人生
一生②でいい
すた丼を引いたら何も残らないブログしか書けない
だれか助けてくれ
ア